内なる平安へのいざない
最近、静かになる時間が増えてきました。
『静かさ』
久しく、忘れていた感覚でもありました。
『意図』していた時は、
常に、騒がしく、落ち着きませんでした。
人間には、『愛』があり、
心の中には、静かな場所がある。
『在る』というのは、ここから、音が鳴って、気が付くものです。
祈るときに、目を瞑ると、何も感じない。
『無』の境地になります。
毎日、『A Course in Miracles(奇跡のコース)』のレッスンをしていて、
『唯一の自己』
という言葉が、頻繁に出てきます。
『自己』は、心理学でいう、アイデンティティーだと、ずっと思っていました。
『A Course in Miracles(奇跡のコース)』で出てきた『自己』は、
私たちを創造したものとひとつであるもの。
その部分が、繋がっているから、共振共鳴が起きて、繋がりが深い人達との間で、創造が起きてしまう。
場が新しく出来ることも、
そこに集まる人達も、
新しい『もの』が生まれることも。
『自分が』という、外に向けている意識を、
『自己』
だと思っていました。
『自我=アイデンティティ=自己』
という図式がありました。
『自分の思い』が自分であると感じている時、
相手が、自分の思いと裏腹に言った言葉も、
言葉にならないけれど、伝わってくるものを、
『私の言いたいことが、全く分かっていない』
と受け取り、
この人には話が伝わらないと、
分離を感じて、絶望したり、
分かってもらおうと、
自分の思いを分かってもらおうと、
説得という名のコントロールしてみたり、
自我の思いは、目隠しをしている状態だと、早く分かると、少し楽になるのではないしょうか?
『唯一の自己』
は、私たちの命に繋がっているものです。
『愛』があることが、深く、深く、身体の底まで落ちていくとき、
聖性と呼ばれる私たちが持つ尊さと
各々の存在そのものに、
共振していく。
それによって、
『愛』が浮かび上がってくる。
『愛』は、生まれてくる前に、天が持たせてくれたギフトであり、
分離を選んで、個性を持った人たちが、
繋がりあう魔法の道具になっています。
『愛』をコントロールする道具にすれば、
魔術になりますし、
そのまま見てあげる、感じてあげれば
魔法の道具になります。
自己とは、人と繋がり、全体の中に溶け込むことで、浮かび上がってくるもの。
それが、『愛』です。
錬金術や魔法があるとしたら、
『唯一の自己』と呼ばれる神聖なもの、
神と繋がるものが、
バラバラになっていた『わたしの一部』だった人達や繋がりの深い場所をキャッチして、
サインを送ってくれて、
付いていくと、成ってしまうもの。
結ばれて、形になってしまうもの。
そのサインが、直感と呼ばれるものや、
心が動く誘いであったり、
縁があって訪れた場所だったり。
それも、外に現れているものに、注意を向けることではなく、内なる平安、静かな場所に、アクセスしてみて、浮かび上がってくるもの。
皆さんの中の『愛』に、ぜひ、アクセスしてみてください。