答えが欲しくて恋しくなった夜は
迷うことってありますよね。
漠然とだけれど、急に『判で押したような、今の状態を何とかしたいなぁ』と感じてしまうとき。
その状態に、停滞のエネルギーを感じてしまって、曖昧なままになっている事も、義務になってしまっている事も、あると思います。
自分だけで決められないことがある時、
心の中がザワザワしてしまう。
目の前にある事が集中出来ないときもあります。
そんな時、私たちは、
答えが欲しくなります。
迷っていたり、決められなかったりすることを、
明確で、全てが片付いてしまうような答えを求めて、
より、ハッキリと、分かりやすく、
答えてくれそうな人に相談したり、
本を読み漁ったりして、
答えを探して、ウロウロしていました。
『A Course in Miracles(奇跡のコース)』に出会い、
『ゆるし』
という『わたし』が当たり前のように、していた見方を、
訂正する
という荒業によって、
答えを外に探し出す前に、
今までの知覚(ものの見方)によって、作り出してしまった罪悪感、罪を感じてしまうことによって、感じてしまう自分への否定。
『わたし』が『わたし』であることを、認めていないことが、浮き彫りになっていきます。
答えが欲しかったのは、
他ならぬ、『わたし』が、生まれたときから既に与えられていたものを、認めようとしなかったり、
蓋をして、分からなくなっていたものを、
開けるカギに過ぎなかった。
カギを渡されたまま、
外側の錠に挿しこもうとしても、
開かなくて、
もどかしさが募っていく。
カギを内側の錠に挿し込むとき、
その錠は、
理由は分からずとも、出来てしまうこと。
気が付いたら、手が動いてしまうこと。
静かにしていれば、分かってしまうこと。
それらの分野を、ゆっくりとでいいから、極めていくと、
錠が開いて、中から、まばゆい光が、差し込むでしょう。
1人の力では、錠が開けられなかったときは、自分の事を愛してくれている人や必要に感じてくれている人に、開けてもらってください。
『わたし』の扉を開いてくれるのは、『わたし』のことを愛してくれていた人達の存在。
答えが欲しくて恋しくなった夜は、
わたしの事を愛してくれる人達や、
わたしが愛している人達の事を思って、
眠りにつくことにします。