音のない世界で生きること
私たちが生きている中で、聴こえてくる様々な音。
駅やお店に行くと、必要以上に音が鳴り響いていて、当たり前だと思っていることすらも、声になって聴こえてくる。
音に囲まれた場所に慣れていると、音が届かない静かな場所や、1人になって、『しーん』としている場所だった事に気がついたときに、
何とも言いようがないほど、寂しい。
身が引き裂かれるほど、不安である。
孤独感で、打ちひしがれてしまう。
そんな事を思うのではないでしょうか?
普段、私たちの心のすき間を、外から聴こえてくる音によって、埋めている。
そして、その音を外していくときに、孤独を感じてしまうのではないでしょうか?
その孤独は、音で埋め尽くしていた
「ぽっかりと空いた穴」を見つめ直すシグナルです。
そして、その穴が、自分が作り出した幻想であることも。
本当の音が内側から聴こえてくるとき、
その音を、今度は外側に向けて、放ってみてください。
話が伝わらない。
分かってもらえない。
そんな思いを抱いていたのは、『わたし』が握りしめていた過去の記憶と、その思いを大切にすることで守っていた人たちがいたからです。
本当の音を響かせることで、
過去の記憶が思い込みである事に気付き、
守ろうとしていた人に、実は守られていた事に気付き、
固く握り締めていた恐れすらも、感謝出来るようになる。
本当の音と書いて、
『本音』
と言いますね。
本音とは、隠していた自分の中の嫌な思い、他者を批判したり、悪く思ったりすることを、出すものではありません。
そのような思いは、過去の癒されていない自分の思いが、未消化のままになっていて、時間が止まった状態になっているもの。
だから、相手が発するものに対して、反応的になってしまう。
反応を表に出さないように、自分でずっと抑えているから、
いつのまにか、怒りも悲しみも恐れすらも、分からなくなってしまう。
抑えているから、言えなかった、感じていながら言っていなかったことが、
本音だと思ってしまう。
抑えている事が多い人は、
今までの人生の中で、大人から言われたことをきちんとやる、責任感が強い真面目な方が多いです。
そして、我慢強い人達です。
これまでの日本は、集団の中で、力を合わせて、豊かになってきた国でした。
1人1人の意見よりも、発信力が強いリーダーによって、全体の総意が形成されていた時代。
今よりも、物がなく、食べていくのに一所懸命な時代は、人々が寄り添って生きていくことが、生き伸びていく知恵でした。
それが、物が行き渡り、食べるものにも満たされ、考える余裕が出てくると、
個人の思いにフォーカスが充てられます。
今、全体の総意から1人1人の思いを大事にする時代になりました。
しかし、集団として生き伸びていた時代に、抑圧していた思いが、子ども達に、孫達に、ひ孫達にも、分からないまま引き継がれている。
だから、本音を言うことが、我慢しているものを伝えることだと思っている。
あくまでも、見ていくのは、自分の心です。
最初は、我慢している思いを出すことから始めていけばいいです。
そして、我慢している思いを伝えたら、相手の思いも同時に聞いて、本音を伝え合う。
相手が、本音を言ってくれた時は、必ず愛から返してあげる。
自分も、相手もお互いに鏡として、反射させあっています。
相手の思い、そのときに出てくる自分の思い、
その時に、わたしの奥にあった本当の思い、
あの時、愛したかった、
でも愛せなくて、愛しているのが怖くて、
そっと、閉まったままになっていた思い、
それが、胸の奥の扉が開き、光を放ち始めます。
自分が、本当に表現したかった思いを見つけていくこと。
その思いが解放されて、相手に伝えられたら、
未消化の思いが、消化されて、
『ひとつであること』を体感することが、別の場所で起きたり、
時間概念が崩れて、奇跡が起こる。
その時、本当の音が聞こえてきます。
本音は、私たちの心を恐れさせるものではなく、
全ての人が『愛されていること』を
受け取る道具なのです。
音のない世界で生きることとは、
世界は、安全であり、安心して生きて行ける場所である。
それは、『間』を取ることであり、
静かな時間を感じること。
静けさの中から聴こえてくる音。
その音を、どうぞ大事にしながら、世界に響かせてみてください。
その音に共鳴する人達との間で、音をそれぞれ交換し合うことで、共振共鳴が起きて、新しい音が静かに響いていきますね。