存在そのものがメッセージになる

愛ある思いが、言葉を紡ぎ、人と人とをつないでいく

同い年の人から認められること

先日、僕と同世代の人達を、専門学校で、教えていた人から、

 

『しんちゃんの世代って、自分が傷つくんじゃないかとか、相手が傷つくんじゃないかって、心配している学生が、ものすごく多かったんだよね』

 

と言われました。

 

あぁ、確かになぁ。

 

人によるだろうけど、友達同士でも、結構、気を使っていたこと、気分を害さないように、言葉を選んで話していたことあったなぁ。

 

と、思い出しました。

 

今、ブログを書いていて、感じるのは、

 

学生の頃のエピソードや出来事、その時に感じたことが、

 

たっくさん、

 

出てくることです。

 

振り返れば、

 

僕も、つい5年前までは、学生でした。

 

小学校に入学して、大学を卒業するまでは、

 

計16年間。

 

人それぞれ、学校との関わり方は、様々です。

 

部活に青春を捧げた人もいれば、

 

志望校の推薦を取るために、テスト前に必死に勉強していた人もいれば、

 

クラスの雰囲気に馴染めず、仮病を使って、出席日数を数えながら、休んでいた人、

 

体育会系の部活の人達が、幅を利かせ、クラスで大騒ぎをしているのを、白い目で見てた人、

 

学校の方針が合わずに、辞めたり、無気力になり、行けなくなった人、

 

奨学金を貰いながら、学校へ行っていて、恵まれているクラスメートの愚痴を、贅沢なものだと感じていた人、

 

挙げれば、キリがないけれど、

 

教室という空間にあった『社会』の中で、自分のものの見方を育んでいました。

 

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年齢は同じでも、精神的な素養、感性、表現の仕方は、同じように見えて、多種多様で、

 

無邪気な表現がゆるされていた時期、

 

ある時、その表現は、周りから見て、自分には、ゆるされていないことを、何となく悟ってしまったとき、

 

薄い膜のようなものが張り、『仲間』『学年』『年齢』『世代』の中にある、『当たり前』を共有しているように、振る舞うことが、前提になっていたこと。

 

ブログを書いていて、

 

学校に関するエピソードが沢山出てくるのは、

 

本当は、

 

同じ学年や年齢の人達と、本音で語り合い、仲良くしたかった。

 

今は、そう思います。

 

ちなみに、僕は、同い年の人よりも、

 

目上の人の方が接していて、

 

同世代よりも、楽でした(笑)

 

もちろん、学校にいる時は、同い年の友達ばかりと付き合っていたから、

 

気の合う友達も、楽な友達もいました。

 

ただし、

 

『甘えられなかった』

 

悩みを言うとか、人生について語り合うとか、

 

出来なかった。

 

弱みを見せられないとか、プライドが高かったこともありますが、

 

1番は、高校や大学の頃は、同世代とでは、真面目な話は、出来ないと思っていたんですね。

 

つまり、

 

『分かってもらえない』

 

思っていたから。

 

本音を言うのは、死ぬほど恥ずかしかったし、真面目な話をひとつでもしたら、

 

『え、何こいつ』

 

『固いし、つまらない奴だなぁ』

 

『なんかさぁ、あいつとは、噛み合わないよなぁ』

 

と、言われる気がしていた。

 

『面白いこと』が、

 

いいことで、

 

『真面目なこと』は、

 

つまらない、扱いに困ること。

 

そんな風に思っていたから、

 

自分が、本当は真面目に、真剣に、考えていたことも、寂しいと感じていたことも、分かってほしいと人知れず思っていたことも、

 

ほとんど言えなかった。

 

相手の反応を見ながら、

 

自分が傷つかないように、

 

相手を傷つけないように、

 

常に、考えていました。

 

10年ほど前、『KY』や『コミュニケーション能力』という言葉が出てきた頃が、

 

1番、気にしていたなぁ。

 

『仲間』を大事にする、結束する、まとまることが、自分の居場所を確保して、人と繋がることで、認知されるものだと思っていた。

 

誰とでも、仲良く出来たり、

 

分け隔てなく話せたり、

 

同じテンションで話せることが、

 

『コミュニケーション能力』があることだと、

 

信じていたけれど、

 

性格や気質もあるし、

 

今、同い年だからって、好きなものも、まるっきり違ったり、

 

音楽を聴く趣味が共通していても、

 

ジャンルが違ったら、

 

全く話が合わないことは、よくある。

 

だから、気を使っていたし、無用な衝突を起こさず、かといって、相手を傷つけないように、接することに慣れていくうちに、

 

『分かり合えない』

 

『あの人とは合わない』

 

と、コミュニケーションを取ることに、勝手に絶望感を抱いて、傷ついてしまったのだと。

 

これらの思いがあった裏返しで、

 

『分かってほしい』

 

『仲良くなりたい』

 

そして、『相手をもっと知りたい』という気持ちから、

 

本音で話すことを、

 

怖がりながらやってきたのだと。

 

そのぐらい、僕の中で、

 

同世代や同い年の子から認められること

 

は、大きかった。

 

このプロセスにびくつき、不安になっていたこと。

 

ブログを書くことで、分かりました。

 

認められようとしたり、分かってもらおうとする前に、

 

まずは、相手を無条件に愛すること。

 

無条件というのが、大切なことです。

 

自分に向けたベクトルから、相手にベクトルを向けてみる。

 

人間だから、好き嫌いが出るときもあるけれど、

 

それを超えてでも、愛しにいく。

 

相手は、自分を映す鏡であり、

 

メッセージを届けるために、私の前に来てくれていることを踏まえて、

 

今年は、同世代や同い年の人達と関わる時間を増やして、関係性を育んでいこうと思います。

 

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