大好きおしゃべり
僕は、人と話すのが大好きです。
先日も、『A Course in Miracles』(奇跡のコース)を学ぶきっかけになった、なっちゃん(佐川奈津子さん)のお話会の際、
久しぶりに会う人達、初めての方も共に、楽しく話す事が出来ました。
(会場近くの教会のモニュメント)
なっちゃんの『A Course in Miracles』のクラスに参加していた頃、自分の中でコンプレックスに思っていた事がありました。
それは、
自分がおしゃべりなこと。
その時も、話すのが好きで、沢山シェアもしてましたが、心の中で、
こんなに話していいのかなと思っていました。
内心、うるさいなぁとか、まだ話してんのかなぁとか、思われているんだろうなぁて、
感じていたんですね。
ある時、シェア会の終了時間を少し過ぎていたので、思い切って聴いてみました。
『沢山話しているけれど、皆さん、ずっと聴いてて、大丈夫ですか?不快に思いませんか?』
そしたら、
『もし、不快なら、時間になったら帰ってるよ。みんなの目を見てごらん。本当にうるさいと感じていると思う⁇』
『………………』
その時の目は、今でも覚えています。
みんな、見守ってくれている目線でした。
その時は、罪悪感でいっぱいだったので、その視線が刺すように見えましたが、本当は分かっていました。
自分の好きなものさえ、否定してしまう。
それは、振り返ると、随分、辛いことでした。
話すことに罪悪感を感じていることに気付いた時、1つの光景がありありと思い出しました。
小さい頃から、話をしたり、発言をするのが好きで、授業中に手を挙げたり、促されて、答えることもありました。
小学1・2年生の頃は、天真爛漫さがあった僕を担任の先生は、可愛がってくれて、好きにさせてくれました。
3年生でクラス替えがあり、友達も先生も代わり、同じように発言していたら、先生から一言。いや、二言か笑
発言は考えてしなさい。
自分だけ発言しないで、人にも譲りなさい。
そう言われました。
あの頃は、確かに何も考えていなくて、トンチンカンな事も言っていたし、間違える事もあったから、先生の伝えた意図は、今になると分かります。
ただ、先生の教育方針もあったし、どちらかというと、おしゃべりな子や目立とうとする子を快く思っていない事が、その後も、垣間見える発言もあり、
言いたいことを考えたり、
嫌われないように、みんなと協調するようになった。
『嫌われないように』という所が、
ポイントで、
自分に影響を与えていたり、深く関わっている人達の感情を損ねないように、
自分が本来好きなことや、興味のあることを、
フタをする。
あるいは、気になる対象になる人達と関わる時期が終わったにも関わらず、
罪悪感を持ち続ける。
本当は、要らないし、必要ないのにね。
でも、意識に刻み込まれたことを忘れても、
その意識が深く沈み込み、
無意識の中で、刻まれたものが疼く事があるから、
だから好きなことであるほど、罪悪感として、出てきていたんですね。
話が好きな例に限らず、
誘われたことに断りを入れるとき、
子どもに注意をするときなど、
ありとあらゆる場面で、出てくる罪悪感。
一言気になる事を伝えてみたとき、
案外、相手の反応があっけなかったり、
激しく反応されても、自分は反応してなかったり、
罪悪感も恐れをいっぱい作って、起きていないことを想像させることで、行動を止めてしまうこともあるので、
手放す意味でも、言ってみる。
やってみると、
新たな感覚、感情を発見して、
ホッとしたり、ゆるんだりしたら、
ゆるされていたことを体験すると思います。
先日のお話会では、話せて、本当に楽しかったです。
これからは、おしゃべりを楽しむ時期に入っていきそうです。