存在そのものがメッセージになる

愛ある思いが、言葉を紡ぎ、人と人とをつないでいく

『神』を感じるとき

『あなたは、神についてどう思いますか?』

 

5年前、当時住んでいた岡山の自宅近くの交差点で、突然、隣の男の人に聞かれました。

 

ネギが飛び出ているスーパーの袋を持った僕は、何も答えず、信号が青に変わると、早足で立ち去りました。

 

その時の僕の心は、

 

『あ、あやしい。』

 

受験前の祈願で、散々神頼みをしていたり、

 

ゲームやアニメで『神』や『天使』が出てきたりしても、

 

違和感を覚えることはないのに、

 

どうして、人から『神』という言葉が出ると、

 

『あやしい』と、

 

思ったり、

 

自分から口に出すことをためらうのは、

 

なぜでしょうか?

 

先日、『A Course in Miracles』のシェア会で、

 

『神の子』という記述があり、

 

(元々、アメリカが発祥で、聖書の言葉がベースにあるため、そのような言葉が出ています)

 

『神の子』という言葉が、腑に落ちないことを言うと、

 

『神を特別なものに思っているでしょ?』と

 

言われ、

 

納得しました。

 

日本は、仏教国と言いたいところですが、

 

お葬式や法事を除いて、

 

仏教に触れる機会も殆ど無いですし、

 

神社にお参りをして、

 

願いごとを神様に祈る時点で、

 

神様は、何でも願いを形にしてくれる、私たちとは違う特別な存在である。

 

と思っているからこそ、

 

パワースポットと呼ばれる神社や場所に、

 

人が多く足を運んでいます。

 

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〇〇をすれば、志望校に合格が出来る。

〇〇をすれば、商売が上手くいく。

〇〇をすれば、パートナーが出来る。

 

(〇〇は、お布施でも、あの神社に行けば、でも何でも良いです。)

 

そういうお参りの仕方に慣れていたために、神を特別な、ご利益を与えてくれるものだと思っている。

 

僕が、神の子と言われて、背筋がむず痒くなったのは、

 

神=特別なもの

 

と、思っていたからでしょう。

 

日本は、キリスト教圏の国と違い、一神教の国ではないですし、

 

神をご先祖様という言葉に変えたり、

 

可愛がってくれたお婆ちゃんという言葉の方が

 

伝わることもありますね。

 

言葉は皆さんが馴染みのあるもので当てはめてくれればいいですが、

 

先日、

 

神は心の中にいて、繋がっているんだなと、

 

思い出した途端に、重かった心が、

 

スッと落ち着いて、

 

軽くなる経験をしました。

 

神を外側のものとして扱っているとき、

 

見ていた姿は、他人を見ている感覚で、

 

自分とは隔絶しているものでした。

 

奇跡と思われる体験をした人や、

 

圧倒的な力を目にした時、

 

強運を持っている人を見たときに、

 

彼らを『神』として、

 

表現する時もありました。

 

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神を見ている自分は、

 

内側にいる自分自身の中の

 

神が、

 

人やものを介在して、

 

現れていた。

 

すがるのは、

 

神であると同時に、常に自分自身の本当の思いなんですね。

 

周りに合わせたり、

 

規範に従いすぎて、疲れてしまったとき、

 

一呼吸置いて、感じて見てください。

 

『神』を感じることは、大袈裟なものでも、特別な存在でもなく、

 

感じている『間』から、

 

現れてくるもの。

 

ふと、物事がトントン拍子に上手くいく、

 

状況があっという間に整ってしまった。

 

望んでいないのに、最善な結果に落ち着いた。

 

そういう、思考では考えられないことが、起きてしまう。

 

そんな瞬間に宿るのかもしれません。

 

皆さんも力を抜いて、感じて見てくださいね。

 

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