『楽しさ』から『喜び』を分かち合う時代に
深く、軽く、果てしなく潜っていく。
穏やかさを保つ時間を持つとき、
自然とまぶたが閉じて、
スっと落ち着いていく感覚が蘇ってきます。
今、多くの人達が、『静かな』時間を求めています。
それは、1人でいることの豊かさを感じるときでもあります。
以前、なぜ、『ひとり』を『ひとりぼっち』と言って、恐れてしまうのか、書いたことがありました。
僕が、『ひとり』になることへの恐れから、『ひとりぼっち』という、惨めさがくっついた言葉が生まれたのは、
テレビ番組が創り上げた価値観が挙げられると思います。
中でも、1980年代のフジテレビのバラエティ番組やトレンディードラマからの影響は大きいですね。
当時のフジテレビのスローガンが、
『楽しくなればテレビじゃない』
日本が経済的にも豊かになり、 企業でも、週休二日制が導入され始め、都市部では、休日には、「レジャー」などを通して、「消費社会」になってきた頃。
テレビも、娯楽の一部から、視聴者の共感を求めて、繋がりを求めるようになります。
『笑っていいとも』も、初期はテレフォンショッキングで、『世界に広げよう友達の輪』って言ってましたしね。
漫才からお笑いに名前を変えていったように、
バラエティ番組が、
家族で楽しむものから、
内輪ネタや、仲間内でツッコミを入れていくような、スタイルに終始するものに変化していき、
学校の友達同士のおしゃべりのような仕様が、
浸透していきました。
80年代のテレビマンやタレントの人達が作り上げた文化が、
楽しいこと= 同じところに共感する。
同じところで笑い、ツッコめる空気を作り、お決まりのパターンを作る。
(お約束と呼ばれるやつです)
誰かがイジられる空気を作り、周りを和ませる。
そんな文化が出来上がって、30年以上が経ってみて、80年代に生まれた人達が、アラサー、アラフォーになった今、
学校でも職場でも、人間関係の潤滑油のように、お約束のパターンに馴染んだり、輪に入らずとも目にしてきた人達の大半が感じてることは
「共感を装ったノリや笑いは、もう疲れた」
そんな印象を持つ人が、半分以上はいらっしゃると思います。
これは、僕の感じていることですが、
個性を際立たせて、特殊性を作り出しすことで、共感しあう時代は、すでに終わっていた。
東日本大震災が起きた2011年以降から、特に顕著になってきていて、
特殊性から普遍性の時代に入ってきて、
こころの話が、心理学やスピリチュアルの分野に限らず、共感される時代になってきました。
若い人の間でも、本当に楽しむ感覚で、
国内の神社や聖地と呼ばれる場所に行く人も増えてきた。
昨日、お会いした、鈴木七沖さんも仰ってましたが、
探すから深める時期に、
外から内へ関心が向くようになってきてるのを、肌で感じています。
それと合わせて、今、フジテレビが視聴率で振るわなくなってきていて、時代を牽引してきた長寿番組が続々と終わり始めている。
『楽しさ』の名の下に、『共感』し合っていた時代から、
1人1人が、『個性』を認めた上で、繋がる時代になっている。
今、ひしひしと感じているのは、
自分の生き方をしっかりと見つめていきながら、
人と繋がりあっていきたい。
その為には、ひとりで内観する時間、
大げさなことではなくて、
自分に合った生き方、働き方、繋がり方を、
しっかりと見据える時期に入ってきました。
時代は常に変化しています。
『楽しさ』から『喜び』を共感していく仲間と共に、新しい時代を作っていきましょう。