存在そのものがメッセージになる

愛ある思いが、言葉を紡ぎ、人と人とをつないでいく

『楽しさ』から『喜び』を分かち合う時代に

深く、軽く、果てしなく潜っていく。

 

穏やかさを保つ時間を持つとき、

 

自然とまぶたが閉じて、

 

スっと落ち着いていく感覚が蘇ってきます。

 

今、多くの人達が、『静かな』時間を求めています。

 

それは、1人でいることの豊かさを感じるときでもあります。

 

以前、なぜ、『ひとり』を『ひとりぼっち』と言って、恐れてしまうのか、書いたことがありました。

 

kinpati1625.hatenablog.com

 

僕が、『ひとり』になることへの恐れから、『ひとりぼっち』という、惨めさがくっついた言葉が生まれたのは、

 

テレビ番組が創り上げた価値観が挙げられると思います。

 

中でも、1980年代のフジテレビのバラエティ番組やトレンディードラマからの影響は大きいですね。

 

当時のフジテレビのスローガンが、

 

『楽しくなればテレビじゃない』

 

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日本が経済的にも豊かになり、 企業でも、週休二日制が導入され始め、都市部では、休日には、「レジャー」などを通して、「消費社会」になってきた頃。

 

テレビも、娯楽の一部から、視聴者の共感を求めて、繋がりを求めるようになります。

 

『笑っていいとも』も、初期はテレフォンショッキングで、『世界に広げよう友達の輪』って言ってましたしね。

 

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漫才からお笑いに名前を変えていったように、

 

バラエティ番組が、

 

家族で楽しむものから、

 

内輪ネタや、仲間内でツッコミを入れていくような、スタイルに終始するものに変化していき、

 

学校の友達同士のおしゃべりのような仕様が、

 

浸透していきました。

 

80年代のテレビマンやタレントの人達が作り上げた文化が、

 

楽しいこと= 同じところに共感する。

 

同じところで笑い、ツッコめる空気を作り、お決まりのパターンを作る。

(お約束と呼ばれるやつです)

 

誰かがイジられる空気を作り、周りを和ませる。

 

そんな文化が出来上がって、30年以上が経ってみて、80年代に生まれた人達が、アラサー、アラフォーになった今、

 

学校でも職場でも、人間関係の潤滑油のように、お約束のパターンに馴染んだり、輪に入らずとも目にしてきた人達の大半が感じてることは

 

「共感を装ったノリや笑いは、もう疲れた」

 

そんな印象を持つ人が、半分以上はいらっしゃると思います。

 

これは、僕の感じていることですが、

 

個性を際立たせて、特殊性を作り出しすことで、共感しあう時代は、すでに終わっていた。

 

東日本大震災が起きた2011年以降から、特に顕著になってきていて、

 

特殊性から普遍性の時代に入ってきて、

 

こころの話が、心理学やスピリチュアルの分野に限らず、共感される時代になってきました。

 

若い人の間でも、本当に楽しむ感覚で、

 

国内の神社や聖地と呼ばれる場所に行く人も増えてきた。

 

昨日、お会いした、鈴木七沖さんも仰ってましたが、

 

探すから深める時期に、

 

外から内へ関心が向くようになってきてるのを、肌で感じています。

 

それと合わせて、今、フジテレビが視聴率で振るわなくなってきていて、時代を牽引してきた長寿番組が続々と終わり始めている。

 

『楽しさ』の名の下に、『共感』し合っていた時代から、

 

1人1人が、『個性』を認めた上で、繋がる時代になっている。

 

今、ひしひしと感じているのは、

 

自分の生き方をしっかりと見つめていきながら、

 

人と繋がりあっていきたい。

 

その為には、ひとりで内観する時間、

 

大げさなことではなくて、

 

自分に合った生き方、働き方、繋がり方を、

 

しっかりと見据える時期に入ってきました。

 

時代は常に変化しています。

 

『楽しさ』から『喜び』を共感していく仲間と共に、新しい時代を作っていきましょう。