存在そのものがメッセージになる

愛ある思いが、言葉を紡ぎ、人と人とをつないでいく

敏感すぎる人たちが幸せに生きるために

突然ですが、

 

皆さんは、自分の性格やタイプは好きですか⁇

 

以前、お会いした人で、自己紹介の終わりに

 

『わたし、性格悪いので』

 

とポロっと言った人がいました。

 

そのとき、フラッシュバックしたのは、

 

高校生の頃に、イライラする度に、

 

意地悪な言動をしてしまうクラスメートが、

 

いつも言っていた言葉でした。

 

からしたら、

 

意地悪な言動を投げ掛けてしまう繊細なクラスメートの光に照らされて、隠していた心の闇にスポットライトが当たったと思い込み、

 

『防御』のつもりで、

 

つい言ってしまっていたんだと、

 

今なら、思います。

 

または、

 

感受性が豊かなために、他の人が感じない微細なことまで気付いてしまい、

 

中には、人をコントロールしようとする想いや

 

『攻撃』を予感させる予兆などを感じ取ってしまい、他の人が感知しないことまで受け取れる

 

本来ならば、愛ゆえの素晴らしい才能なのを、

 

相手の『恐れ』も一緒に感知してしまうがゆえの

 

必死の防御の一言だったのかもしれません。

 

人の感情の機微を読み取れることは、素晴らしいことだけど、

 

神から与えられた素晴らしい才能を

 

受け取らない選択をして、否定をしてしまうと

 

『兄弟』という名で現れる他人の中にある

 

透明な鏡の中に、とても重たい『恐れ』のエネルギーが映ってしまうので

 

神の愛を受け取らないあなたと同じように、

 

与えられたものを認めないために、

 

自分を愛することが出来ず、自己否定が止まない『恐れ』のエネルギーを出す人と

 

たくさん出会うことがあります。

 

『攻撃』をする人と『防御』をする人。

 

凸と凹が合い、『恐れ』のパズルがハマっているときは、

 

『恐れ』が、『攻撃』に出やすい人は、

 

愛する人が、攻撃の対象になり、否定、非難が止まずに、パワーハラスメントモラルハラスメントになってしまったりします。

 

『防御』に出やすい人は、

 

他人と線を引き、心を閉じてしまうため、人付き合いで、腰が引けてしまい、

 

孤独感を感じやすく、人との繋がりが感じにくく、

 

心を許せる特定の人に依存をしてしまったりします。

 

長々と書きましたが、

 

『攻撃』と『防御』の両方に出やすい、

 

人の感情を自然と読み取れる敏感な人達。

 

まだ言語化されていない相手の思いが分かってしまうあまりに

 

元気に振る舞う相手の奥にある癒されていない深いかなしみや

 

快活な言動に聴こえるけれど、

 

本人の『自己否定』が隠されていて、その重たさをダイレクトに受け取り、鬱のように落ち込んでしまう。

 

そういう相手の気持ちを微細に受け取り、共感する人のことを、

 

エンパス(共感能力が高い人)と言い、

 

最近では、

 

HSP

(High Sensitive Person)

 

『敏感すぎる人たち』

 

という言葉でも知られています。

 

最近、書店に行くと、HSPの人向けの本が、かなり出ています。

 

重たいエネルギーを受けないために、『境界線』を引いて、結界やバリアを張ることが書かれていて、

 

僕も6年前に、

 

初めてHSPの本を手に取ったとき、衝撃を受けて、ものすごく画期的な発見であり、

 

いつも人付き合いで、疲れ切ってしまう僕も、これで救われると思っていましたが、

 

自分と他人の区別を意識して、『境界線』を引くことで、

 

今度は何も感じなくなり、自分が何を感じているのかも、分からなくなりました。

 

自分の心を見なくなってから、対人関係で自分を責める人が身近に現れ始めて、

 

行き詰まってしまいました。

 

そんな中で、奇跡のコースを学び、『投影』のメカニズムを知り、

 

自分自身との関係性が、そのまま相手との関係性を創り出していたこと。

 

つまり、『外』で相手がわたしにしていると思っていることは、

 

神から与えられたものを受け取らず、他人に合わせることで、出来ない自分を否定し続けることで、

 

自分の心を見ないままにしているものを、気になる相手を通して見せてもらっているだけに過ぎないことだった。

 

そして、『陰』に受け取っていた

 

相手の思惑、闇、恐れに怯えていたのは、

 

本当は幻想だけれど、

 

まだ『恐れ』が実在すると信じていて、そのエネルギーで、同じエネルギーを持つ人達が鏡になって見せているに過ぎなかった。

 

だから、まずは、

 

怯えている『相手』に見ている『恐れ』がわたしが作り出したものだったと受け入れることです。

 

HSPで書かれている『境界線』を引いてしまうと、

 

自分と相手を分離させてしまうので、

 

『別の存在』であると知覚してしまい、

 

浄化が終わらず、自分が創り出した『恐れ』のドラマから抜け出せません。

 

そのため、人は入れ替わっても、同じように気になる人が出続けることになります。

 

HSPを形にしたのは、実に画期的なのですが、

 

まだ自分が『弱い存在』であるために、

 

攻撃を受けやすいので、防御しなくてはならない

 

という見方をしているので、与えられた共感能力の高さを否定しているために、

 

自己否定から抜け出せていません。

 

自分が『周りから見て弱い存在』だという見方から抜け出し、

 

与えられた共感能力を生かして、

 

どんな対象に関わらず、愛せるようになるには、

 

『浄化』が必要です。

 

そのためには、

 

HSPの『弱み』だと思われている

 

自分と相手の間の境界線を引かない、いわゆる、人は全てがひとつである見方を使い、

 

相手を『鏡』として見て、自分自身が怯えているものが映し出されたときに、その恐れを祈りによって、委ねて、消してもらうことです。

 

消すのは、自分ではやらずに

 

神です。

(大いなる存在でも、天でも、ご先祖様でも、信じているもので構いません)

 

つまり、神様に祈り、訂正してもらう。

 

最初はやや荒療治です。

 

『投影』に意識が向くので、気になってしまう相手がどうしても怯えているものを見させるために、

 

気になる行動、言動として目につくようになります。

 

それでも、出てきたら、何回も何回も祈ることです。

 

そして、祈ったら、自分で気持ちをいじろうとしないで、ひたすら待つことです。

 

相手を通して気になったらとにかく祈ります。

 

僕も、2年程前は、エンパスであることを受け入れられませんでしたが、

 

浄化を促すように、人や場所を変え、何度も同じようなことが気になることが続いたので、

 

降参して、何回も何回も祈りました。

 

今でも、たまに、心が重くなることがありますが、

 

相手を通して気になることが、少しずつ、少しずつ無くなっていきました。

 

それは、共感能力の高さを使って、文章を書く喜びに変わったり、

 

人と関わることが急に楽しくなったりして、

 

不必要な『遠慮』が無くなり、気持ちが楽になりました。

 

本来、共感性が高いエンパスは、人と関わる喜びをたくさん知っていて、

 

気になることが減っていくと同時に、

 

『愛』の領域が広がっていくので、

 

相手の喜びも共に味わえるようになります。

 

そして、苦手だった人との関わりが

 

本当は大好きで、

 

『愛されていたこと』を知り、

 

関わる人達を愛せることが、自分を愛することであり、

 

境界線の無い共感能力の高さが

 

自然と神と繋がっていくので、

 

人と関わるときには、

 

思いもよらない奇跡を体験したり、

 

創造が始まって広がっていきます。

 

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