創造は『自分』から始まる
僕は、野球が好きで、よくプロ野球で監督をしていた人達の本や読みます。
その中で、『野球』も含めて、
『物事を見る眼』が
すごいなと思っていたのは、
現役時代は、三冠王を3回取る大打者で、
(三冠王とは、本塁打王、打点王、首位打者の打者が取れるタイトルを独占することです)
(神主さんがお祓いをするようなスタイルから、『神主打法』と呼ばれました。)
中日ドラゴンズの監督に就任すると、
8年間で、リーグ優勝5回、日本一1回、
そして在任期間中の全てAクラスという名監督でした。
現役、監督時代を通して、
独特の練習法、采配、マスコミの対応が
『オレ流』と呼ばれるほど、
変わっているのですが、
(日本シリーズで、走者を1人も出さない完全試合していた投手を、9回に代えたのも、話題になりました。)
落合さんの出現は、プロ野球選手の意識を大きく変えました。
(一番は、球団の言いなりに近かったプロ野球選手の査定に異議を唱え、プロ野球選手の年俸を大幅に上げたことです。)
2ヶ月ほど前、
関西のスポーツ番組にゲストで出た落合さん。
吉本の野球好きのお笑い芸人の質問に答えていくスタイルの番組で、
出演者の中で、1人だけ野球をほとんど知らないお笑いの人が、
落合さんの現役時代の独特の練習法を聴いて、
『なんで、他の選手は落合さんと同じように練習せえへんの?』
と聴きました。
他の出演者からは、
『落合さんは、天才だからに決まってるだろ』
と総ツッコミされて、別の話題になりました。
その後、指導者の選手への教え方について、
『経験を積んだ選手になると、聴いてもないのにうるさく教えたって、選手の心には響かないし、うるさいと思って聴かないんだよ』
と言い、
落合さんが、前に質問してくれたお笑いの人に
『さっき、野球知らないから、素直に聴いてくれたでしょ。素直に聴いてくれるのに、その意見をみんなで潰そうとしたでしょ。それしちゃ、ダメなんだよ。同じように、選手が、素直に聴いているときに、教えてやるんだよ』
と言いました。
落合さんの話を聴いて、
ある分野において、『知識』があり、実践もしている場合は、
教える側が『自分から』教えるのではなく、
素朴に疑問を感じて、聴いていることに、答える。
そして、相手が聴いているときは、
物事を『吸収』する力が開いているときなので、そういう時に、『教える』のです。
僕も、教えることは、言われたことを吸収していくものだと、つい2年ほど前に、思っていました。
思っていたとすら気付かず、無意識にそう思っていました。
考えてみたら、小さい頃から、
両親や先生、部活の指導者、アルバイト先の先輩、職場の上司、先輩などが、
自分たちの教えを一方的に教えて、『教えられる側』のわたしが吸収していく。
そして、同じことを、後から入ってきた人達に、教えていく。
いわば、『教える』ことは、すでに始まっているバスケットボールの試合に入れられて、『パス』を繋いでいくものだと、思っていました。
落合さんは、プロに入って間もない頃、
当時の監督が打ち方を教えようとしたら、
『僕のやり方でやらせて下さい。3年で結果出なかったら、クビにして構わないので』
と言い、
自分の身体に合いそうな打ち方をしている
同じチームの選手を見つけて、
彼のフォームを『モデル』にして、
自分の身体に合った打撃スタイルを確立して、
三冠王を3回取り、45歳まで活躍する名選手になりました。
落合さんは、練習を指導者の『言われた通り』にやるのではなく、『自分から』吸収しにいったからこそ、成功しました。
50歳近くまで現役を続けた工藤公康投手も、
若手の頃は、指導者の教えを鵜呑みにせず、時に、その教えは流していたそうです。
2人とも、指導者からしたら、
生意気極まりないですが、(笑)
1人1人、向き不向きも違うし、
なにせ、指導者は、どうしても自分の『型』にはめて、選手を指導しがちです。
それなのに、プロ野球の世界で長く成功する選手は、
指導者の『型』にはまらず、自分の『型』を持っている選手ばかりです。
野球に限らず、どの分野でも、そういう人たちが、結果を出しています。
教育、指導法などは、
1人1人の『個性』を引き出すものですが、
合わないものは、合いません。
良かれと思って、言われたことをやってみても
その人に合わないことは、
たっくさん
あります。
僕も、部活、受験、仕事のスタイル、学んだ心理学メゾットなどで、
合わないものが、
いっぱいありました。
素直に言われたことをやってみるのは、
とても大切なことですが、
合わなければ、離れることも
経験から学びました。
そして、今、強く感じるのは、
昔の僕のように、
誰かの成功体験を基にした理論やメゾットを、そのまま当てはめて、同じような結果を出そうとすると、
自分の『本質』からズレてしまいます。
そういうやり方は、もう時代に合わなくなっていることです。
今は、自分の在り方を思い出して、素直に表現していく時代。
人と関わる中で出てくる自分の在り方に気が付き、それぞれが大切にしているものを思い出す時代に入りました。
誰かの生き方や、やり方を模倣することは、
自分を知る上では、最初は必要なことですが、
それは、あなたが、あなたという『人となり』を知る手掛かりになるものです。
あなたが、
否定している恥ずかしいところ、
欠けていると思っているところ、
自信が持てないところが、
裏を返せば、
人と繋がる素晴らしい才能であったり、実はコミュニティの中でバランスを取り、調和をもたらしているものかもしれない。
だから、そんな自分でもゆるされていることを
素直に認めるところから始まります。
そのことを否定したままだと、
『別の誰か』になろうとしてしまうので、
『言葉』と『在り方』が伴わなくなっていて、
自分が苦しくなるか、
自分を取り巻く現実が荒れ始めたり、
身近な人の心身が不調になったりします。
今、色々な言葉が飛び交っています。
自分の思いを素直に伝える人達がたくさん出てきていて、『愛』『在り方』『本音』という言葉が、至る所で飛び交っています。
しかし、本当は、言葉ではなく、
写真に載っている人達の『顔の表情』が、その人の『今』を伝えています。
もっと言えば、言葉ではなく、
その場から
伝わってくるエネルギーが真実を伝えている。
そういうエネルギーは、
穏やかだけれど、時に力強く、不思議な安心感を与えてくれるものです。
まずは、『自分』から。
見ているもの、見えてくるものから
心を整えて、
お互いに、自然に気付き合い、
それぞれが自分の本質を受け取ることから、始まります。