存在そのものがメッセージになる

愛ある思いが、言葉を紡ぎ、人と人とをつないでいく

自分を愛することって何だろう?

『まずは、自分を愛しなさい』

 

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哲学、自己啓発、カウンセリング、スピリチュアル関連の本に、よく書かれている言葉です。

 

これらの本を手に取る人は、

 

学校や職場で、関わる人との間で、何らかの違和感を持っていたり、

 

関係性の中では、上手く行っているけれど、心の中の飢餓感や欠乏感が強くて、自意識の葛藤がすごかったりします。

 

上に挙げた2つの例を見てみると、

 

対『相手』

 

対『自分』

 

という見方をしています。

 

他人という『外側』と、自分自身という『内側』との違いはあれど、

 

心の中で、『葛藤』を作って、戦ってしまっていることは、共通しています。

 

葛藤の中身を見てみると、

 

自由に振る舞い、能力という与えられたものを全開にして生きていきたい自分自身と、

 

自由でになる事によって、それまで繋がりあっていた人達との別離や関係性が変わること、社会の中で生きる自分を守っていた考え方から離れることを、罪悪感によって、食い止めようとする自我(エゴ)との、

 

対立です。

 

自由に生きたい自分自身を意識する人が増えてきているのは、巷に出てみると、よく分かります。

 

今、書店に行けば、スピリチュアルの本が所狭しと並ぶようになり、

 

地域自治体の町おこしの一環で、地域の神社が縁結びやパワースポットになり、観光客が押し掛けるようになってきています。

 

今は、スピリチュアルの分野や、スピリチュアルという言葉に抵抗がある人でも、心理学や哲学の分野から、人間の意識や肉体を超える存在を、見つめていこうとする人達が増えてきています。

 

心の隙間を楽しさだけで埋める時代は終わり、

 

自分自身に目を向けて、内なる平安があることを、静かに受け取る時代。

 

その上で、関係性を築いていく時代に入ったようです。

 

『自分の本当の思いは何だろう?』

 

何かにぶつかってしまったり、前に進めなくなったときに、このように問う人もいるでしょう。

 

葛藤しながらも、自分への愛を受け取り、自由の道に切り替える決断をして、関わる人が、自然と変化したり、環境が変化したりします。

 

そうすると、これまで以上に、罪悪感や自己否定をしている自分が不甲斐なくて、絶望感を持ったり、葛藤したりする事もあります。

 

僕は、絶望感を持ったり、葛藤を抱くことは、無条件に愛されていた事に気付き、愛と共に生きていく道への初めの一歩になります。

 

愛に気付き始めると、その愛を、関わる人達にも分かってもらいたくて、

 

最初は、自我(エゴ)が強くなる時もあります。

 

そうすると、周りとの愛に対する熱量の違いで、孤独感が強くなって、

 

『分かってもらえない』

 

『愛されているのを受け取らないなんて、何て、傲慢なんだ』と、

 

熱量が高く、本気な自分と、

 

何となく愛に目覚めているけれど、怖がっている相手の

 

2つの視点から見てしまいます。

 

ひとつである視点ではなく、分離を強く感じて、苦しい。

 

でも、安心してください。

 

自我(エゴ)が強くなるのは、愛したい思いが強くなっているから。

 

そして、愛したい思いが、過去に置いてきぼりにした感情を、浄化するために、表に引っ張り出してきます。

 

深く繋がりたい思いが高まるほど、

 

関わっていきたい大好きな人達との間の、熱量の違いや、

 

今までの関係性の中での繋がりよりも、もっと深く相手を知りたくなったり、自分の思いも相手の思いも伝え合えたくなる。

 

でも、相手がまだ、自己否定をしていて、自分の可能性に気が付かず、同じぐらいの愛の熱量を持てていない事や成長する意思を全く見せないことに、腹が立ってしまう。

 

そのうちに、自分の熱量と同じ人同士を求めて、その相手との関係を切ったり、関わりをやめてしまったり、ジャッジをして、

 

『成長が感じられない』

 

『ずっと同じ話ばかりしていて、ちっとも前に進んでいない』

 

やる事をやって、愛に触れて、関係性が変化していく人。

 

怖がってばかりで、思うように前に進めない人。

 

その2つの葛藤。

 

この光景が見えてくるのも、愛したい思いがもたらす作用の1つです。

 

ここに辿り着く皆さんが、愛があるゆえに、抱えるもどかしさですが、

 

これは、愛ではなく、愛情です。

 

『愛』に『情』が入り、気が付かない間に、相手を、自分と同じように感じたり、分かってもらおうとしたりして、コントロールしようとしてしまう。

 

愛に触れて、愛されていて、人との間で、安心して生きていけることを知ってもらいたい。

 

それゆえの、相手に対するもどかしさですが、

 

そういう時のポイントは2つあります。

 

1つは、目の前に現れる相手は、自分の中にある未消化の感情を見せてくれる為に、自分に対して、態度や言動を通して演じてくれていることを思い出すこと。

 

その時、彼らを通してのメッセージは、一体何だろうか?

 

相手が恐れている姿を見たら、自分の視点が、恐れに向いています。

 

僕は、今でも、相手に見てしまいます。

 

投影が終わってないと、恐れが、まだまだ出てきます。

 

恐れの奥には、愛されていること、

 

そして、怖がっていたのは、無条件に愛されていることだった。

 

愛されている、ゆえに、愛が怖い。

 

繋がりの中で、関係性を築こうとするがゆえに、望むように承認されているかに恐れ、

 

承認される事が、愛されている事とイコールになっている。

 

だから、関わる人達が、恐れていても、愛されている事を受け取れるまで、続くのだと思います。

 

僕も、今、その途上にいます。

 

2つ目は、愛を向けた、関わりあう人達を

 

見守ること。

 

見守ることは、相手が変化していくことを、ただ何もせず、見守り続けることです。

 

2人以上で、見守ると、変化していく事もあります。

 

僕は、過去に苦しかったときに、

 

2人以上の人達が、何もせず、見守ってくれたお陰で、

 

当時、家族に向けていた思いが、

 

本当は、無条件に愛されていたことに気が付く為に表面化しただけに過ぎませんでした。

 

それは、自分以上に、自分の事を愛してくれた人達が、自分の事のように見守ってくれたからです。

 

その時に、別の人達との間で、感じた事をシェアしてくれた後、同じ気付きがあったり、

 

現実が大きく変化したりしました。

 

見守り合える関係性を築くことは、相手を愛し合い、苦しい時も、奥にある気が付きたがっている『愛』を見てあげましょう。

 

そして、本人が受け取るまでに、そっと見守り続ける。

 

自分を愛することは、周りと共に愛し合う関係を築き、シェアを重ねていく上で、徐々に見えてくる。

 

それは、家族や愛するパートナーでなくても、志を共にする人、同じコミュニティなど、物理的距離が離れていても、大切な人達との間で、伝え合う中で、育んでいけばいいと思います。

 

自分を愛することとは、無条件に、自分の感じていることを素直に聴いてあげること。

 

聴いてあげた事を、コントロールする事なく、大事にしてあげること。

 

大事にすると、自ずと、自分の大事にしているものに呼応した仲間が集まってきます。

 

自分の感じている事を知るために、そして、自分を愛し、愛することとは何かを知るために、周りの人とたくさんシェアしてみてくださいね。

 

胸の奥にある、愛する思いは、話すほど出てきて、深まっていくし、相手の思いを聴くことで、自分の思いの奥にある『愛』に触れて、もっと相手を愛したくなるでしょう。

 

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