関わりあう中で、自分と繋がろう
『誘われるうちが花だよ』
かつて、人付き合いが良く、誰からも好かれていた学生時代の友達が、僕に教えてくれました。
仲良くしたいと思ってくれる友人、
気にかけてくれる同僚や先輩、
お世話になった大切な人達。
彼らから、誘われる時、少し気が向かない事があろうとも、恩義に感じたり、相手を思って、出向くことは、多々あると思います。
ところが、大学生の頃の私はというと、
『気が向かないから、やめよう』
『(誘われたものに)興味がないから、いいや』
と、よく都合を付けて断っていました。
本当の理由は、相手に言うのは悪いので、『都合が悪い』と言っていました。
そんな事をしていて、ある時、ふと誘いが減っていった時期がありました。
同じ頃、僕の実情を知らない別の友人から言われた言葉を聴いて、身体中に衝撃が走りました。
友達:『いやさぁ、誘っても、いつも断ったり、都合つかない子とかさぁいるじゃん。バイトとか忙しいのかもしれないけどさぁ、2回誘っても、来なかったらさぁ、何か誘いづらいし、誘うの悪い気がして、誘わないんだよなぁ』
僕:『……………………』
『(心の中で)そ、そうだったのかぁ』
断るんだから、もっと堂々としていたらいいのに、学生の頃の僕は、内心、そうやって友達との絆が希薄になって行くような気がしてました。
『僕が誘ってくれた友達を大事に思っていても、相手は頻繁に遊んだり、顔を合わせたりしている友達の方が大事に思っているんだろうなぁ……』
そう思い始めました。
人付き合いは、関係性の中で生きるには、無くてはならないものだと思っていました。
それは、常日頃から、一緒にいたり、時を過ごしていくことで、培われる密なものから、友情や絆が生まれるものだと思っていました。
でも、本当は、
『常に誰かと一緒にいるのが苦手でした』
1人の時間が大好きで、本を読んだり、好きな音楽を聴いたり、電車に乗ってボォーとしたりする時間が、本当に豊かでした。
そんな中で、人とも関わりたくて、でも、何だか一緒にいるのが退屈だったり、話を合わせるのが億劫だったり、煩わしかったりして、どことなく浮いた気分になったり。
『繋がりを求め過ぎていたんですね』
高校生や大学生の頃、繋がっていたけれど、繋がっているのか不安で、1人になることが気楽だったけれど、不安でした。
他にも、
新しい環境に行く前触れとして、
密だった人達と、急に都合が合わなくなって、会えなくなってしまう。
話が合わなくなったり、一緒にいて違和感を感じてしまったりする。
あるいは、仲の良い人が、別の人と急速に仲良くなったり、深まったりしている。
そんな時に、繋がりが途絶えてしまう不安と取り残された気分になる事があると思います。
身の回りの環境の変化が起きている時は、今までにない事だったり、予測がつかなかったりする事が起きていて、
対処の仕様がなくて、自分の足りない点を見やすくなりがちです。
私が考えるに、『人と繋がること』の本質を見ないまま、『繋がり』という言葉が強調され過ぎているんです。
『繋がり』って、この10年ほど、よく耳にしています。
『繋がり』が強調される分、普段、1人でいる時間が長い人が増えて、欠乏感が溜まっている人が増えているのかもしれません。
繋がりは、仲が良いとか、目を掛けてくれているとか、見えるだけの話ではありません。
見えない繋がりは、たくさん存在しています。
今、この世にはいないけれど、可愛がってくれたおばあちゃんだったり、
遠い場所にいる、かつて仲が良かった友達や、
それこそ、自分と血が繋がっている、会ったことのないご先祖の人達。
繋がりは、肉体を超えています。
(鈴木七沖さんが紹介してくれた、時空を超えて繋がっているご先祖様の図)
僕は、『人と繋がる』ことを、ずっと意識していました。
なぜなら、根底に、目に見える範囲での人と、繋がる事にこだわり、相手の一挙手一投足を気にかけたり、ひょんな仕草や行動にやきもきしたり、信用しているのか、
ずっと不安だったからです。
だから、誘いを断るのは、信頼の欠如に繋がると思い、いつも怖かったし、
今でも怖くなるときがあります。
でも、自分の本当の思いに正直に生きる方が楽なのを、
知っているし、
誘った相手にその時は断られても、
悪い奴だと思うことは全くありません。
ならば、相手もそうかなぁと。
繋がることの欲求が強いほど、妄想という名のドラマにハマっていました。
今、多くの人が、繋がりを求めて、行動しています。
まずは、繋がるのは、自分自身への信頼です。
その為に、友達や仲間がいるのです。
1人では、不安だったり、分からなかったりするからこそ、鏡になって見せてくれます。
だから、まずは人と繋がってみてください。
あるいは、今ある関係性を大事にしてみてください。
人と繋がることの本質は、
繋がりが深くなり、相手に、鏡になって見せられた自分の特徴、特性を、受け入れてみてください。
それが、自分への信頼に繋がります。
人と繋がることのギフトは、自分を好きにさせてくれることです。
例え、嫌な自分、見たくない自分を見せられたりしても、
大丈夫です。
情けない自分も、意地悪な自分も、ずるい自分も、人と繋がる為の手段に過ぎず、本当の思いを見させてくれる道具に過ぎないんです。
本当の思いは、
自分も相手も、共に愛されていることが、分かるもの。
『愛』の源に辿りつくものです。
『恐れ』は、『愛』に気がつく為の演出に過ぎなかった。
言ってみれば、不安は、夜明け前の霧です。
皆さんも、恐れたときはチャンス。
誰でもいいので、話してみたり、鏡として確認しながら、本当の思いを見つけてくださいね。