自然体でいること
昨日、ほぼ初対面の人とお茶をしました。
えっ、ほぼ初対面…………(^_^;)
と、思われ方。
これには、実はわけがありまして。
14日に友達と2人で、新宿紀伊国屋の哲学書や仏教関係の本が並んでるコーナーで、本を片手に話していたら、突然、
『すみませーん』
と、声を掛けられて、
『若いのに、かなり本の事で、話が盛り上がっていましたが、どんな本を読むんですか?』
と、2人組の女の人に聞かれました。
まあ、大きい声で話していたのは、僕なのですが笑
話すと、ヨガをやっている方たちで、内面の話、エゴの話など、私が向き合ってきた事と同じことを話してくれたので、
僕も、『奇跡のコース』や昨年受けていたグルコンの話をしました。
閉店時間も間近になったので、LINEを交換して、別れました。
次の日に、LINEをもらい、
『もし良ければ、お茶を飲みませんか?』
と、誘われ、昨日の夕方、会いました。
以前なら、声を掛けられて話しても、
連絡先まで交換することは、まず、ありませんでした。
でも、今回は、すっと出来たんです。
それは、友達と紀伊国屋の前に、
今後、挑戦していきたい事の奥に、
ある人に『認められたい』
思いが共通してあり、
一致点が分かったこと。
話をしていて、彼の水のように受け入れる姿勢と気づきの深さによって、
愛が広がっていく感覚があったこと。
自分の本当の思いに気が付いたり、
目指すものの奥に隠された思いが出てくると、
現実が動き出したり、
必要な人に出会うようになっている事は、
周りの人達の奇跡を目撃させてもらったときに、
受け取っていました。
僕の場合は、彼と話していて、
『与えることを躊躇しないで、今、すでに与えていて、話すことを通して、愛を受け取ってくれる人がいた』
ことに気が付いたことでした。
話が尽きない私は、人の話を出せなくしてるのではないかと、
考えていた時期があり、
話が好きな自分を抑えて、他人の話をよく聴ける自分になろうと懸命に努力していました。
話を聴ける自分も、大切な事でしたが、
話を沢山する自分の方が、
今の私には、自然体でした。
その時、心の奥には、
静寂がある。
自然体でいるときは、
大声になりません。
話しているけれど、静かなのです。
小さな声でも、相手には伝わるのです。
自分の思いが、本来ある姿に繋がると、
固くなっていて、動きが止まっていたものが、
川の流れのように、流れていきます。
その時に必要な人に出会う。
昨日、コーヒーを飲みながら、
ほぼ私が話していたのですが、
彼女たちは、静かに私の話を聞いてくれて、
必要なことを返してくれました。
『内側に熱いものがあり、
中にある『まだ何か分からないけれど、気が付いてほしいもの』に、
繋がろうとしていて、
今、たくさんの人達と出会い、
そのものを見ようとしているんだね。』
そして、わたしの殻の中にいる居心地の良さもあるけれど、
相手の思いと重なることで、
ひとつになれるものを探している。
神から分離していて、
思いが拡散していたものが、
ひとつになっていくと、
必要な人やものに出会い、
創造が生まれていく。
自然体でいるときに、
光は、放射されていて、
輝いていくものであると、
紀伊国屋での出会い、コーヒーを飲みながら、
身をもって知りました。