ゆるしが照らす光のギフト
私たちは、愛されている事を受け取っていい。
ずっと、僕らは、夢を見ていて、『経験』という名のドラマの中で、夢中で頑張ってきた。
『愛している』の一言で終わることを、
試したり、謎かけをして、霧を掛けることで、
分かるような、分からないようなものにして、曖昧にして、条件という名のハードルを課して、アメとムチを、ゴールに向けて走るランナーに与えてきた。
『分離』という幻想を、際立たすことで、正当化していく。
私がそれに気付き、今度はじっくり眺める時が来たとき、相手が分離をして見てることが、気になり始める。
でも、その時に思い出すのは、
『あなたはわたし』であること。
あなたが、見せてくれている姿や言動や行動も、わたしの心の奥にある思いを引き出すためにあるものだった。
その思いは、
最初は、ゆるせない思いが出てきたり、
感情が抑えられなくなって、人を責めるときもある。
それでもいい。
それは、きちんと自分自身に向き合おうとしている懸命な姿だから。
ゆるせないのは、
本当はゆるしたいから。
ゆるしが照らす光は、無条件で愛されていることを受け取っていいことだから。
みんな、愛されている自分が怖いんだ。
それは、『経験』という名のもとで、培ってきたものが、1つ、2つ、3つと、離れていくように思えているから。
身につけたものは、一生の財産じゃない。
それは、人と繋がり、お互いの光を浴びて、闇を作って、それが自分だと絶望する経験を通して、光が眩しく、分かりやすく照らされることを、体験するためだった。
私たちは、愛されていることを、受け取るとき、光は外からでなく、内側からまばゆく放たれることを知っている。
だから、今から愛されていることを、受け取っていこう。