存在そのものがメッセージになる

愛ある思いが、言葉を紡ぎ、人と人とをつないでいく

気になる人をゆるすとき

『ゆるせない人はいますか?』

 

そう尋ねられたとき、あなたなら、どう答えますか?

 

今の僕なら、

 

『今はいません』と答えます。

 

かつて、僕がゆるせないと思っていた人。

 

というより、その人から投げかられた言葉は、

 

高校生の頃にクラスメートがいる前で、

 

『生まれ変わっても、お前だけには、なりたくない』

 

と言われたことでした。

 

言われたときは、何故か笑って済ませられたのを覚えています。

 

しかし、カビに侵食していくように、その言葉が、じわりと心の中に広がっていきました。

 

その後も、迷ったり、余裕がなくなるたびに、その言葉がフラッシュバックして、暗闇に突き落とされた気持ちがしてました。

 

大学を卒業する頃、ふとした瞬間に、その言葉を思い出した時、何も感じない自分がいて、その後も今も、書いていても、何の感情も起きません。

 

言った本人の顔もよく覚えていますが、今、本人の顔を見ても、激しい感情が沸き立つ事もありません。

 

一体、何が起きたのでしょうか?

 

それは、投影の仕組みを知ったときに、腑に落ちました。

 

 僕が、その言葉を、思い出すだけで気力がなくなっていた頃。

 

そして、言われた当時、はっきりしている事がありました。

 

それは、

 

自己否定が強烈に激しかったこと。

 

通っていた高校に、本来は、来るべきでないと思い、自分がそこにいちゃいけないと、ずっと思っていたこと。

 

当時の自分が大嫌いで、自分の与えられたものを真っ向から否定していたこと。

 

私が、わたしを激しく否定している時、

 

身近な存在や気になる人、もっと言えば、苦手だと意識を向けている相手から、

 

私のベースにある思いを伝えられます。

 

宇宙では、ひとつである。

 

例えると、人間は、形の違うクッキーのようだけど、生地は一緒のもの。

 

という言葉をスピリチュアル関連の本に、よく書いてあります。

 

だから、肯定感があり、そんな自分自身が大好きな場合は、

 

人から好かれたり、願っていることを叶えやすい。

 

それが、例え、反道徳的に見えても、唇を噛み締めて、ずるいと思うようなことでも、本人が、肯定的で罪や過ちだとあまり感じていないと、叶ってしまう。

 

それは、エネルギーが軽く、関わる人達の間で共鳴が起きやすいから。

 

すぐに届いてしまうんですね。

 

愛からやれば、共振共鳴が起きて、喜びや幸せを感じたり、その都度、気付きや奇跡が起きて、新たなものが生まれやすい。

 

恐れを持った者同士だと、感情を揺さぶられ、パワーの強い相手に支配されて、気力がなくなっていく。

 

気になるというのも、

 

自分の扉を開かせてくれるものを直感的にキャッチしている時は、動いていくと、現状では想像しないような結果が起こりやすい。

 

(社会的な価値観に沿うような、エゴベースの願いが叶うものとは、かけ離れている事が多いです)

 

逆に、自分に×を出し、存在そのものを否定しているようなときは、自分の事を脅かすように思える人、苦手意識やコンプレックスを感化させる人に意識が向き、

 

言われたくないことを言われる。

 

自分が、その場に存在しないかのように振舞われる。

 

ダメ出しや叱咤が続き、精神的に参ってしまう。

 

それも、自分を責めて、断崖絶壁でナイフを刺しているあなたを投影していて、

 

そんな事をしなくても生きられる事を教えに、気になる人が、責めてる自分にレッドカードを出し、その場から退場させたのです。

 

だから、気になる人をゆるすとき、

 

自分が、ナイフで刺した傷が治癒して、カサブタになってきたときです。

 

そのカサブタが取れて、傷が消えたとき、心で思い込んでいたことがなくなり、真の姿を見たり、ありえないと思うことが起きて、奇跡を体験し続けるのです。

 

まずは、自分から。

 

自分が終われば、今度は寄り添い、相手の中の過去の自分をもう1度見て、今度はもう1度奇跡を体験するでしょう。

 

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