存在そのものがメッセージになる

愛ある思いが、言葉を紡ぎ、人と人とをつないでいく

昭和は遠くになりにけり

投稿でも書きましたが、

 

漫画家のさくらももこさんが亡くなりましたね。

 

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ちなみに、この顔に出てくる、縦線が好きでした!!

 

 

以前、このブログでも、さくらさん作の『コジコジ』について書きましたが

 


 

さくらさんの作品は、

 

人間の業(エゴ)』を笑い飛ばす爽快感がある反面、

 

ちびまる子ちゃんのナレーションのような

 

『第三者』の視点で見ているところがあったり、

 

『禅の教え』のようなセリフがあったり、

 

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(花輪くんって、実は、瞑想好きって知ってました⁇)

 

自我』と『』の2つの視点を持っていて

 

その対比が笑いになっているから、面白かった。

 

あとね、『ちびまる子ちゃん』の魅力は、

 

やっぱり圧倒的な昭和感だと思う。

 

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(西城秀樹山口百恵山本リンダを知ったのが、ちびまる子ちゃんからだった人も多いはず)

 

その時代を生きた人なら当然懐かしいと思い、

 

昭和を知らない平成育ちの人でも、何となく懐かしいと思わせてしまう魅力がありました。

 

マンガは、昭和の終わりの1986年に始まり、

 

アニメは、平成が始まったばかりの1990年に始まりましたが、

 

時代は、バブルの真っ只中で、

 

日本各地が『開発』によって、昭和の原風景がなくなっていったころ。

 

その頃に、ちびまる子ちゃんはブームになり、

 

国民的なアニメになっていった。

 

たぶん、これは日本人が持っていた『共同幻想』が崩れてきたころだと思う。

 

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この『共同幻想』は、具体的にいうと、

 

家族を中心として地域や学校のような誰もが安心して居場所があるコミュニティがあること。

 

『個人』が、他人に干渉されなくても、プライベートでは、思い通りに自由にいられる時代になってきたからこそ、

 

かつてあった、安心して帰れたコミュニティを『ちびまる子ちゃん』に見ていたんだと思う。

 

まる子の家は、おじいちゃんやおばあちゃんと同居しているし、

 

なにせ、おじいちゃんと仲良しですし。

 

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『友蔵心の俳句』はいい味出してたなー!

 

これは、僕が感じたことだけど、

 

今までのしがらみも含んだ昭和的共同体は、

 

地方都市では今でも残っているところもあるけれど、

 

まず、家族や地域共同体の中で、

 

物質的な豊かさに満たされた、まさに『ちびまる子ちゃん』の時代あたりに崩れ始めて、

 

1980年代から90年代にかけて、

 

今度は『個人』が『消費』をする時代になって、

 

物質的な自由が1人1人に行き尽くしたことで、

 

牧歌的な昭和的共同体が消滅していった。

 

今、個人の『自由』は達成されましたが、

 

同時に『つながり』を感じる瞬間が減ってしまったからこそ、

 

今、経済的な利益を抜きにして、

 

人と人とが集まるコミュニティがインターネットやSNSを通じて、

 

出来てきた。

 

それは、ちびまる子ちゃんの時代には、当たり前にあった昭和的な共同体に、あったものかもしれません。

 

平成が終わる今、今度は、しがらみという『恐れ』ベースのつながりを見つめながら、

 

人と人とが『愛』からつながる共同体作りになってきている。

 

それは、常に一緒にいて、縛られる間柄ではなく、

 

1人1人の個性を受け入れて、違う『音』が重なり合うことで、1つの『音』が発せられる関係性になっていく時期に

 

次の時代はなっていくと思います。

 

さくらももこさんの死は、新しい時代に向かう今、

 

古き良き昭和の時代と新しい技術が世の中を変えた平成の時代の統合が、すぐ近くまで来ていることを教えてくれたような気がします。

 

改めて、ご冥福をお祈りします。