存在そのものがメッセージになる

愛ある思いが、言葉を紡ぎ、人と人とをつないでいく

投げ掛けられた言葉の先にあったもの

自宅の近くにグラウンドがあります。

 

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網戸にしていると、

 

風に乗って、たくさんの声が聴こえてきます。

 

休日の我が家に届く声の多くは、

 

グラウンドで指導する大人の声です。

 

その声色や語気は、

 

時として、

 

子どもを怒鳴りつけたり、

 

威圧的な言動に聴こえてきて、

 

聴こえてくる身としては、

 

『怖くないのかな?』と

 

思ってしまうことがあります。

 

学校でも、以前勤めていた企業でも、

 

威圧的な言動をする大人はいました。

 

そういうとき、

 

僕は緊張して、身体がいつも硬くなっていた。

 

硬くなると、

 

開いていたものが、

 

バタンと閉じていく感覚があって、

 

動作が鈍くなったり、

 

周りを気にし過ぎて、

 

ますます、

 

目が向けられるようなことがありました。

 

大人になってから、

 

『ゆるむ』ということを知り、

 

同時に、

 

自分が、無意識のうちに、

 

弱みを見せまいと、

 

自分自身を守ろうとしていたことに

 

気が付きました。

 

アスリートや大学受験の成功体験の話を聴くと

 

緊張していた方が、

 

ベストなプレーや

 

目標が達成出来ると語られていたのを

 

信じていました。

 

ところが、

 

僕も、僕の周りの人も、

 

周りの指導する人達の言動の強さを

 

プレッシャーに感じて、

 

疲弊していき、

 

動けなくなることが出てくることがあり、

 

そういうときの身体は、

 

恐れに支配されているから、

 

ガチガチになっていて、

 

左半身と右半身が、

 

連動せずに、一呼吸遅れたり、

 

どちらかの足に力が入り過ぎて、

 

踏ん張りが効かなくなっていました。

 

発せられる言葉によって、

 

身体の中に眠るパフォーマンスを

 

引き出したり、

 

閉じさせたりします。

 

僕は、会社員時代に営業の仕事をしていて、

 

売上が上がらないときは、

 

上司から度々、

 

威圧的な言動を投げ掛けられていました。

 

そういう言動って、

 

いつしか慣れていくと、

 

怒られることが当たり前になって、

 

気になっても、

 

流してしまえるようになります。

 

そうやって、

 

受け取るものすら、流していくことで、

 

また同じような言動をされると、

 

無意識に身体が、

 

自分自身を守ろうとして硬くなります。

 

不思議とそういう時の言動って、

 

責められたという覚えがあるだけで、

 

具体的な言動までは覚えていません。

 

身体が硬くなる習慣が身につくと、

 

いい言葉や的確なフィードバックも、

 

入らなくなってしまいます。

 

自分の内面を見つめるようになり、

 

自己否定に気付かずに、

 

周りにいる愛する人達が投影の対象に

 

なっていたのを身をもって見せられ、

 

あなたとわたしがひとつであることを

 

受け入れたとき、

 

威圧的な言動をする人達が、

 

本当は、

 

無条件に愛されていることを

 

両親や周りの大人から受け取れないまま、

 

大人になり、

 

かつて、愛してほしかった人と同じような

 

言動をしてしまっていたんだと

 

思うようになりました。

 

本来は、

 

子どもにとって、身近なお母さんや

 

深く関わる周りの大人達から

認められることで、

 

自分が与えられているものを

 

受け入れて、

 

ありのままでも受け入れられていることで、

 

無条件に愛されていることで、

 

安心するのですが、

 

テストでいい点数を取って褒められる経験をしたり、

 

男性なら、強く逞しい子であることとか、

 

女性なら、大人しく、おしとやかであること

(書いてて、非常に古い感じがしてきた笑)

 

のような、

 

性的自認に必要だと思われているものに

 

即して、

 

『条件』を付けて、

 

受け入れようとしたときに、

 

その子どもが与えられた気質や性質、

 

得意分野と言われるものと、

 

噛み合わずに、

 

受け入れられないと思わせる言動や態度によって、

 

罪悪感が生じてしまいます。

 

そして、

 

罪悪感すら抱いていることを忘れたまま、

 

大人になって、

 

子どもに、

 

かつて、子どもだった頃の思いを投影して、

 

周りの大人にされたような言動をしてしまう。

 

まずは、子どもと関わったり、

 

指導する立場になったとき、

 

注意をするときに出てくる言葉、

 

口調、

 

その時に、私の心の中のもの、

 

無意識にしていることや

 

我慢や犠牲でしていることに、

 

気付いて、

 

自分の子供とは、心の底から笑い合いたいです。