存在そのものがメッセージになる

愛ある思いが、言葉を紡ぎ、人と人とをつないでいく

静けさについて、僕が感じること

梅雨の中休みで、

 

今日は6月にしては、

 

清々しい、爽やかな1日でした。

 

最近、心静かなときを感じることが、

 

増えてきていて、

 

そういうときは、

 

身体が軽いです。

 

話題は、変わりますが、

 

今、NHKで放送している『半分青い』

 

舞台は、1990年(平成2年)の東京です。

 

当たり前ですが、

 

誰も、パソコンや携帯電話を持っていません。

 

連絡を取り合うのも、全て電話。

 

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作家の村上春樹と読者のやり取りがまとめられた

 

村上さんのところ』の中でも、

 

50代の会社員の人の相談で、

 

昔は、出張帰りに、新幹線で、ビールを飲みながら、ひと息つけたのに、

 

パソコンを持ち歩くようになったら、連絡がひっきりなしに来るようになって、休む暇もない。

 

という相談が乗っていました。

 

携帯電話が普及し始めたのは、

 

大体、1998年(平成10年)ごろ。

 

パソコンの家庭への普及は、もう少し前だけど、

 

パソコンと携帯電話の登場は、

 

『情報』の流通量が格段に増えて、

 

人々の生活スタイルを大きく変えました。

 

同時に、

 

移動する間の時間。

 

朝起きて、TVを付けるまでの時間。

 

休憩の時間。

 

家に帰り、眠りに着くまでの時間。

 

1日のうちの、

 

空白の時間。

 

その間に、感じられる

 

少し静かな時間。

 

その希少な時間までが、

 

『情報』で埋め尽くされました。

 

私たちの思考の中に、

 

『情報は、沢山知っている方がいい』

 

という考え方が

 

少し前まで、埋め込まれていました。

 

それが、行き過ぎてしまって、

 

今度は、

 

『必要な情報』を見極めようとしています。

 

そんな状況を見て、僕は、

 

情報を見極めようとする

 

『必要』『不必要』という考え方こそが、

 

ジャッジを生み出して、

 

ハートを重たくさせて、

 

本当の自分の声が聴こえなくなってしまうように思います。

 

静けさの中にいるときは、

 

必要、不必要とか、

 

出来る、出来ないとか、

 

上手くいく、いかないとか、

 

ないんです。

 

思考が作り出す二元論の世界は、

 

『条件』が付いています。

 

静けさの中にいるときは、

 

本当に、今、必要な自分の声しか

 

聞こえてきません。

 

私たちの中にある静けさに

 

繋がるときは、

 

『自我』の枠の中から、

 

抜け出して、

 

余白を感じ切ったとき、

 

現れるメッセージや

 

人を介して、運ばれてくるご縁。

 

欲しい結果を出すために、

 

静けさを感じるものではありませんが、

 

静かな場所にある

 

本当に必要な情報に

 

アクセスしてみてくださいね。