存在そのものがメッセージになる

愛ある思いが、言葉を紡ぎ、人と人とをつないでいく

『怒り』が『愛』に変わっていくとき

今年は、スポーツ界の

 

パワハラ』と『体罰』が、

 

大きく世を賑わせています。

 

最近でも、日本体操協会体罰を受けたとされる体操選手の

 

体罰』の認識の見解に

 

相違が出ていることが、

 

報道されていて、

 

協会のトップの人の当事者選手への発言に、

 

選手本人から、パワハラを感じたと報道されていました。

 

協会のトップの人が

 

パワハラを感じた発言も指導のうち』と

 

発言したときに強く感じたのは、

 

こういうことは、『立場の違い』によって、

 

言葉の受け取り方が変わっていくものであり、

 

時に、大きな誤解を招いてしまうことがあることです。

 

パワハラと受け取った『選手』の側からしたら、

 

トップの人の発言から、

 

パワハラを受けたと感じることで、

 

感情が乱れてしまうから、

 

被害者意識』が先立って、客観的に、自分自身を見ることが出来ずに、

 

激しく相手を責めてしまうことで、

 

今、自分に、本当に起きていることが何なのか、見えなくなってしまいます。

 

スポーツ界だけではなくて、

 

会社組織の中でも、

 

パワハラ』はよく耳にする話題です。

 

パワハラをした当事者からすると、

 

『そんなつもりじゃなかった』と言うことも

 

たくさんありますし、

 

時に感情的になるほど、

 

厳しい言葉で接する姿勢が、

 

上司にとっては、

 

愛情を持った指導だと思っていても、

 

部下にとっては、『パワハラ』と受け取られて

 

心の病による休職や早期退職につながり、

 

職場が、『人手不足』になった結果、ますます悪循環に陥ることも少なくありません。

 

このような経験は、僕が会社員時代に経験したこととも大きく重なります。

 

ここから、僕の体験談を交えながら、会社員を退職後に

 

特に、グルコンを通して、沢山の人達とシェアとフィードバックを重ねながら分かった

 

パワハラ』だと思っていた上司の真意と

 

僕の思い込みが消されていく過程をお話しようと思います。

 

当時、食品メーカーの営業て、店舗の売上管理、販売員さんの雇用、管理が主な仕事でした。

 

入社2年目の秋に、異動した部署の上司は、

 

部下を、自分のやり方で、

 

徹底的に管理をする方で、

 

その上司の意に沿わない行動をした場合は、

 

激しく叱責する方でした。

 

当時は、店舗の人手が足らずに、若い営業部員が応援に入ることも多く、

 

僕もその1人でした。

 

上司は、仕事が覚束ない僕を一人前にしようと

 

現場でのディスプレイを一緒に手伝わせたりしましたが、

 

いかんせん、勤続20年目の上司と現場に出て1年の私とでは、力量も違うし、掛かる時間も違います。

 

『仕事が遅い。言われた通りに出来てない。何回も同じことを言わせるな』

 

と、時に従業員の前で激しく叱責されて、

 

聴きたいことも聴けない雰囲気になっていきました。

 

やがて、社内の人手不足もピークになり、

 

キャパシティを超える仕事量と販売応援で、休みが取れなくなり、

 

ミスも多発するようになりました。

 

そんな時、お世話になっていた企業の信頼を失うようなミスと

 

担当店舗の販売員さんの突然の退職の処理が上手くいかず、

 

コップを投げられる寸前まで激しく叱責されたとき、

 

そのとき、自分の心が堰を切ったように

 

『もう無理だ』と思いました。

 

今から3年前の桜の蕾が膨らみ始めた3月の暖かな昼でした。

 

それまでは、企業に貢献しようと、微力ながらも感じていて、休みが取れないことすら、構わない時もありました。

 

しかし、その上司から、

 

『お前のことは信頼してないからな』と言われたとき、

 

心に繋ぎ止めていた糸が切れたようになり、

 

わたしから上司への信頼も無くなりました。

 

本音かも知れませんし、一時の感情で言ってしまったのかも知れません。

 

真相もお互いの思いも分からないまま、

 

その年の6月に退職しました。

 

翌月から、なっちゃん(佐川奈津子さん)の

 

『奇跡のコース』をベースにした『サイコセラピスト講座』に参加して、

 

なっちゃんが、体験談を交えながら、

 

人間関係の問題は、全て自分の心が作り出してしまった『恐れ』が『投影』という形で、

 

身近な人や愛する人が、自分に『他責』をしていくように仕向けてしまう。

 

まずは、心の中でわだかまっている

 

厳しく他人を裁いて、苦しんでいる自分自身に気が付いて、

 

『ゆるすこと』から『癒し』がはじまると言われたのを、

 

今でも覚えています。

 

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(ゆるさない心を作るのは、このような感じかも)

 

僕は、上司の関係性を見つめようと何度も試みましたが、

 

思い出すたびに、『怒り』が強烈に湧いてきて、そのときは、全く上司を見ることが出来ませんでした。

 

1年ほど経った秋、

 

なっちゃん・大ちゃん(吉武大輔さん)のフランスリトリートに導かれるように参加しました。

 

フランスでもグループコンサルティングがあり、

 

そのときに、上司のことを再び思い出し、あのとき言えなかった思い、退職後に上司の指導に対して心境が変化したことをメールで伝えたいと思いましたが、

 

メールアドレスを整理してしまっていて、連絡が出来ませんでした。

 

帰国後に、最後の挨拶の時の、嫌そうな上司の顔と僕に向けた社交辞令的な言葉の話を

 

グルコンの仲間にしたときに、

 

普段は、聴き役に徹する彼女がいきなり、

 

『それはしんちゃんが離れていくことに、本当は、申し訳ない気持ちと悲しさがあったけど、周りの人がいるから、そういう表情を取らざるを得なかったんだよ』

 

と言いました。

 

その言葉は、クリアに腑に落ちました。

 

1年という時間が、『過去』をゆるし、上司ではなく、自分の在り方を見直す余裕を与えてくれたのかもしれません。

 

僕と上司が働いていたあの頃、

 

人手不足で余裕がなく、かつ、

 

お互いに自分のことしか考えられなかった。

 

上司は、完璧を求め過ぎて、勤続20年目と2年目の社員が『違う目線』で見ていることに気が付かず、

 

僕は、仕事が、部署、現場、多部署がひとつになってしていることが分からず、コミュニケーションが上手く取れていなかった。

 

要するに、周りが見えていませんでした。

 

叱責を恐れて、問題点だと思うことも、指摘せずに問題が大きくなったこともあります。

 

育った『環境』『時代』によって、価値観は大きく異なります。

 

『立場』が違うと、見えている景色も違います。

 

だからこそ、自分の中でわだかまる感情を知り

 

『投影』から相手に対して攻撃が起きていることを受け止めることが大事なことです。

 

かつての僕は、ややもすれば、『被害者』になることは出来ました。

 

しかし、僕は『被害者』になることを選びませんでした。

 

ゆるそうと思っても、ゆるせない時期もありました。

 

その時期の心がきつかったからこそ、

 

同じ思いをしないためにも、ここで終わりにしようと思っていました。

 

心に、気になる相手を十字架に架けて、ずっと裁いているのは、自分自身です。

 

自分の思いに居着かせて、起きていることの真意が見えなくなります。

 

上司は、僕を育てようと必死であって、

 

あのような言動を取ってしまったことは、

 

今は分かります。

 

言動に関しては、相手に非があることも分かりますが、

 

『理不尽な怒りは、本音が言えないときに起こる、ねじれた愛』であり、

 

誤解を生み、分かり合えないドラマを共有することも出来ますが、

 

真意は、『愛』であり、

 

相手の中から自分自身の隠されている『愛』を

 

受け取り直す扉だと思います。

 

今年の冬に、その上司に感謝の念が湧くことがあり、

 

現実が変化することがありました。

 

スポーツ界で起きている

 

パワハラ』が世間を賑わせている今、

 

私たちの心の中で繰り返し感じてしまい

 

同じような現実が起きてしまうパターンを

 

静かに見ていくときに来ているのかもしれません。