2018年の目標ときどき夢
昔、大分むぎ焼酎二階堂のCMで、
『夢を持てと励まされ、
夢を見るなと笑われる。』
というフレーズが流れてきました。
夢。
物心ついた頃から、周りの大人達から、将来の夢を聞かれることもあり、
学校の卒業文集から、
アスリートがメダルを獲ると、子供の頃の夢を実現させた話が、TVで放送されたりして、
常に夢を意識させられる事が多かったです。
ちなみに、僕は、
子供のころ、夢がありませんでした。
それでも、将来の夢を、小学生の卒業文集に書かなくてはならず、
電車がただ好きなので、
『新幹線の運転手』
と、無理やり書いたこともありました。
当時から、冷めていたのかもしれませんし、
中学生に入っても、
何となく勉強を頑張っていた方がいいなと感じて、努力をした事もありましたが、
テストで良い点を取るのは、夢ではなく、目標でした。
そこで、感じるのは、
夢と目標って混同されやすいことです。
小学校に入ると、
逆上がりが出来るようになる。
跳び箱が6段まで飛べるようになる。
かけっこで1等を取る。
中学生や高校生だと、
部活で都大会に出場する。
5科目で400点以上を取る。
合宿コンクールで1位になる。
………………
常に目標設定をして、達成出来るまで、努力する。
努力した分が、数値によって現れているか、常に確認していた。
数値が出るまで、モチベーションを維持する為に、感情を揺らしたり、お互いに友達やライバルの存在によって、刺激しあって、能力を高めていく。
夢が目標に変わっていくと、
実力を付ける方向性に変わっていく。
得意分野を伸ばすことは、容易くても、
苦手分野があれば、出来るまで努力する。
これが、結構キツくて、
エネルギーがみるみる消耗していきました。
数値が基準になると、勝つために最短の距離で、ゴール出来るものを探します。
ものを考えたり、
細やかな所に目を配るよりも、
目標を達成するために、必要なスキル、情報、人などを探して、
必要、不必要に分けて、
物事を考えるようになります。
眼に映るものが、際立って、分離していく。
役に立つ、立たないで、人やものを見る。
そこに、ジャッジが生まれる。
成功体験をしたときは、
そこに至るまでのドラマが基準になる。
山登りに喩えると、
山頂(数値)は一緒でも、登り方が違うので、
到達するまでのやり方に差異が出る。
その差異が、巷に溢れるメソッドです。
メソッドに慣れてくると、通過点にある木々や飛んでいる鳥よりも、
山頂にしか興味がなくなってきます。
メソッドのつまみ食いを散々してきて、最後に最も効果的だったのは、
泥臭くても、最後までやり遂げること。
継続すると、コツを掴み、出来るようになる。
学びでも、仕事でも、スポーツでも、趣味の世界でも、どんな分野でも、
時間が掛かろうとも、継続が最短の近道でした。
とにかく、やり続ける。
出来たら、仲間と支え合いながら、
1週間、
1か月、
3か月、
半年、
1年続けてみる。
やっていく中で、
分からないものが分かるようになり、
その中で、見えてくる景色があり、
方向転換のサインになるような事があれば、
道を変えてみる。
夢も目標も変化していいし、最初に思い描いていたことから外れてもいい。
継続をとにかくしてみて下さい。
実を言うと、このブログも毎日書こうと思い、全く書けずに、悶々としていました。
それが、完璧に書けなくても、
文章が支離滅裂でも、
繋がりや起承転結がなっていなくても、
とりあえず書いてみようと思いました。
書きながら、文章の書き方を学べばいいし、
毎日一言でも更新しようと思います。
途切れても、次の日から、また書いてみます。
そんな気楽な気持ちで、2018年、このブログを書いていきますので、どうか、暖かい目で見てください。