存在そのものがメッセージになる

愛ある思いが、言葉を紡ぎ、人と人とをつないでいく

罪悪感という名の贈り物

「罪悪感」

 

という言葉がある。

 

「罪悪感」を感じる時、必ず相手がいる。

 

相手との関係性の中に出てくる思い。

 

メディアから流れる情報。

 

友達のふとした言葉。

 

その時に、ふと批判めいた言葉や思いが出てくる時、

 

自分が「そのもの」に対して罪を見ていたり、

 

憧れや羨ましさを曲げて反応していたりする。

 

自分の目の前に現れるものは、

 

自分自身の思いの投影で、

 

スクリーンに映し出される風景も、

 

その時に出てくる思いも

 

自分が、過去に「勘違い」をして、作り出してしまった思い。

 

「勘違い」が訂正されないまま、

 

「罪悪感」になって、

 

目の前の人間関係、報道、為政者に対して、

 

罪を見るようになっていく。

 

「罪悪感」は、本当はパッケージで、

 

その中に入っているのは、

 

「愛したかった思い」

 

だったりする。

 

「愛したい思い」が

 

「愛せなかった苦しみ」に

 

変わっていったときに、

 

「罪悪感」は生まれていく。

 

もし、反応したり、

 

気になる相手がいたり、

 

悩んでいたら、

 

相手を介して出てくる言葉や思いを

 

じっと見つめていくといいと思う。

 

そこに「罪悪感」があったならば、

 

自分の本当の思いや

 

その思いを通して、

 

受け取るものが、

 

きっとあるかもしれない。

 

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