存在そのものがメッセージになる

愛ある思いが、言葉を紡ぎ、人と人とをつないでいく

祈りを通して感じた「在り方」

どうも、1年半ぶりのブログです^^

 

最近、祈っているとき、何も感じない、

 

真っ白になる感覚が気持ちがいいんです。

 

僕にとっては、

 

祈るって、ただそこにあるものを

 

静かに受け取ることでした。

 

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「祈り」

 

日本人で、クリスチャンでもなかった自分にとって、

 

最初にこの言葉を聴いたとき、

 

神聖で、静かで、厳かな、特別なもの。

 

そんな、イメージをしていました。

 

そんな、日常生活から切り離された空間で、

 

祈りを捧げる。

 

「聖と俗」

 

天と地を繋ぐもの。

 

祈りを文字化しようとすれば、するほど、

 

どんどん抽象的になっていく。

 

具体的なものをずっと求めてきた

 

自分にとっては、

 

祈りは「分からない」ものだったのです。

 

思考で捉えて判断する事に慣れていた自分にとって、

 

「分からない」事は、脅威な事でした。

 

2年前に、「A Course In Miracles」に出会い、

 

わたしが、欲しい具体的な成果や結果は、

 

自分が設定したものである事に気付かされ、

 

既に幸せであったこと、

 

そこに条件を付けて、

 

条件を満たしていない自分は、

 

満たされていない

 

そんな自分はダメだと

 

自己否定をしたうえで、

 

その状況を打破しようとして、

 

祈りに変えていました。

 

そういう時は、祈りが具体的になっていたのです。

 

学校や

 

企業などで

 

社会的な価値観を刷り込まれて、

 

努力をすることを

 

美徳になっていたとき、

 

役に立つのか、立たないのか、

 

基準が出来ていました。

 

自分の本質を無視して、否定をしていた時、

 

努力が義務になっていたとき、

 

欲しい結果や成果は、具体的になっていました。

 

「在り方」という言葉を知り、

 

「在り方」は、自分の本質を受け入れた時に、

 

出てくるものでした。

 

それは、既にわたしが持っていたけれど、

 

後天的に身につけた価値観のフィルターを通して

 

条件を付けて、

 

ハンデにしていたものや

 

否定していたものかもしれません。

 

どうぞ、

 

恐れていることでも

 

現状打破したいことでも

 

一歩踏み出せないことでも

 

祈りに変えてみてください。

 

具体的な結果や成果を望む祈りでもいいんです。

 

その祈りがもたらす現実をよく見て、

 

反応していること、

 

相手を介すことであれば、

 

投影しているものに気付いていってください。

 

気付きが増え、

 

その見ている景色が

 

自分の心象風景であるものが分かったら、

 

もう1度祈ってみてください。

 

私が見ていた風景そのものが

 

思い込みやジャッジ、制限が取れて、

 

自分が愛されていた事を受け取りました。

 

人によって、思い込みやジャッジ、制限が取れた時に

 

見えてくる風景は様々だと思いますが、

 

その時に心に響くものを、ぜひ感じてみてくださいね^^