存在そのものがメッセージになる

愛ある思いが、言葉を紡ぎ、人と人とをつないでいく

自分自身のスピリチュアリティを受け入れる

『スピリチュアル』

『霊性』

 

僕は、これらの言葉に、畏敬の念と共に、抵抗と恐れる気持ちが、常にありました。

 

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恐れていたのは、スピリチュアルや霊性という言葉を使うときの、相手の反応でした。

 

『えっ、大丈夫……⁈』

『騙されてない……⁉︎』

『宗教に入ったの……』

 

そんな風に思われる事が、怖かったんですね。

 

中でも、宗教という言葉は、キリスト教が強く根付くアメリカの南部やイスラム圏の人々のように、日本人は、信仰と生活が一体になっていないので、

 

抵抗が、かなりあることを、実感しています。

 

その抵抗は、僕の心の中にも、最後の残り香のように、漂ってくる事もあります。

 

一方で、日本人は神社に行く習慣があります。

 

初詣で、無病息災を祈る。

 

志望校に合格する為に、絵馬に願いを書く。

 

パワースポットと呼ばれる場所で、良縁を願う。

 

面白いのは、日本各地の観光名所の殆どが、神社仏閣であること。

 

神社では手を合わせて願い事をしたり、意識せずとも祈るのに、

 

『スピリチュアル』や『霊性』という言葉を聴くと、反射的に構えてしまう。

 

そんな人もまだ多いのではないでしょうか?

 

心にまつわる話が、遠慮を伴って話されたり、

 

タブーにされて、見ないものとして扱われたり、

 

メンタルという言葉で、『強い、弱い』という分かりやすい指標で、判断されたり、

 

『心』というものが肉眼で見えず、統一する指標が持ちにくいからこそ、どうしても、『スピリチュアル』の話は、

 

個々の実体験や感覚で話されやすい。

 

その結果、言葉では伝わりにくい。

 

『言葉でなくて個々で感じるもの』だからこそ、最初は分かりにくく、戸惑う。

 

脳は、『分からないもの』に対して、保留にしておくか、排除をして『なかったこと』にしておくケースが多いです。

 

自分の心に引っ掛かる場合は、フックに掛けておきますが、そうでない場合は、

 

『聴かなかったこと』

『存在をしていないもの』

 

として、扱う。

 

人間の脳で考えられる幅を超えたものに関してもそのように扱われがちです。

 

そうすると、いざ、目の前で、人知を超えた能力を発揮する人達に、特別性を抱くようになります。

 

リーディング能力があり、その人の今の状態や未来予知をズバッと言われる。

 

過去生でやってきた事が、今、悩んでいたり、恐れていることと、繋がっている。

 

空中浮遊して、あっと驚かせる。

 

ちなみに僕は、これらの事は出来ないのです。

 

でも、『この出来ない』という思いが大きなミソで、

 

出来ないからこそ、説明が付かないことを出来る人を見ると、目が丸くなるんです。

 

人知を超えたものや言葉で分かるように言えないものは、

 

凄い能力だと驚愕して、抱えている問題を解決してもらおうとするのか、

 

変なことだから、見ないようにして、否定してしまうのか、

 

実はいずれも、コインの表と裏であって、コインである事には、変わりがないのです。

 

例えば、リーディング能力(その人の状態、過去、未来、テーマなどが分かること)がある人が目の前に現れた時を例に取ると、

 

リーディング能力がある事が、特別なことだと思っているのは

 

驚愕している人も否定している人も同じです。

 

両者共に、

 

自分にはないものと思っていて、

 

その結果、驚愕したり否定したり、して見せています。

 

前者の場合は、抱えている問題を解決してもらおうと、リーディング能力にある人に、自分で取り組むことを明け渡し、依存しています。

 

その結果、その人の言われたことが、自分の感じていることよりも、優先度が高くなり、

 

その人に認められようとして、葛藤を伴いやすなったり、不信感が募っていったりして、

 

別の自分になろうとしています。

 

分かりやすいのは、自分達が支持する人の在り方、具体的には、経験してきたこと、言葉遣い、振る舞いと同じことを、無意識にしてしまう事です。

 

それは、学校でも、組織でも、芸能界でも、特定のコミュニティでも、しばしば起きることです。

 

「スピリチュアル」と言われて、反射的に宗教と取られ、白い眼をされがちなのは、

 

宗教という言葉の中に、

 

集まる人達の妙な一体感を感じてしまう事があると思います。

 

例えば、スポーツのように、自然体で募った一体感は、見るものを幸せな気持ちにしたり、感動させたりします。

 

それは、見ているものが同じで、それぞれに向き合っているものを見ているから。

 

「スピリチュアル」や「霊性」は、特別なものだと思うほど、全肯定、全否定されやすいです。

 

大事なことは、常に自分の心に寄り添い続けていくこと。

 

スピリチュアリティ(精神性)は、命ある、私たちが毎日生きている事そのものです。

 

私たちの存在そのものが、現れてくるもの。

 

それが、精神性であり、スピリチュアリティです。

 

日々感じていることが、映し出しているもの。

 

それが、恐れから見れば、世界は分断して見えて、目の前の相手は、別人になり、期待も不安も、様々な感情を投げ掛けて、昨日は期待に沿う素晴らしい人だけど、今日は気が利かない人になってしまいます。

 

わたしが思い違いをして、作ってきたことをゆるすために、人が現れ、悩みがあって、その度に、助けられてきました。

 

そんな思いで、感謝をして、日々贈られる恵みを受け取っていきましょう。

 

素晴らしい能力も、その能力を差し出すことを恐れ、否定していると、闇が多く、『分かり得ない』思いを作って、世界は、絶望と理不尽で出来ている星になってしまいます。

 

恐れている自分の存在を、自分だけで握りしめず、誰かの心に響き、使われていく。

 

その時に自分が光となって、輝いていることを知るでしょう。

 

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