存在そのものがメッセージになる

愛ある思いが、言葉を紡ぎ、人と人とをつないでいく

自ら動くことをやめるとき

最近、

 

政治の話題やスポーツで相次ぐパワハラ問題の報道を見ていて感じることや

 

誰かと話していて、些細なことを感じるとき

 

『今の自分をゆるす』ことが

 

度々、心の中に出てきます。

 

先週、心の整理がつかないことがあり

 

SOSを求めてたとき

 

自責や他責の思いが苦しいときは

 

『自分でやろうとしている』ことに気付く

 

サインが出ているから

 

『自分でやろうとする、ほんの少しの気持ちを、神に預けて、祈ること』

 

教えてくれました

 

『ゆるす』ことや

 

『浄化』というのは

 

『自分でやろうとする、ほんの少しの気持ちを、神に預けて、祈ること』

 

気持ちの中にムクムクと湧き上がる

 

『わたしが何とかしなくてはならない』思いを

 

聖霊に預け、わたし以外の存在にしてもらうこと

 

不安になると

 

頭がグルグルと回り出して

 

身も心も硬くなって、緊張していくから

 

ほんの些細なシグナルや

 

直感のタイミングが見えなくなるから

 

思考で解決に導こうとして

 

外に答えを求めようとして

 

ロジカルな理論に当てはめて

 

数学の問題のように答えを出して

 

解決したかのように装えますが

 

心が既に知っている今の自分の声と

(深い気付きともいいますが)

 

重ならずに葛藤状態を作り出してしまうので

 

別の問題を使って

 

自分の声を聴いてもらおうとします

 

心が既に知っている自分の声は

 

次の場所に行くときに必要な切符のようなもので

 

大抵は抽象的なものです

 

静かにしているとか

 

丁寧に物事を見るとか

 

日常の具体的なことに対処するときの

 

心得やものの見方に関わることが多いです

 

その声を聴こうとするときに

 

後付けで取り込んだ価値観が挟まると

(世の中では、現実的な見方といわれるもの)

 

声を消してしまうことがあります

 

大切なことは、流れていく方へ行くこと

 

具体的なものを挟もうとするときは

 

大抵はズレていって軌道修正が入ります

 

今、霊的な目覚めが早くなってきているのと

 

社会全体の引力がどんどんと軽くなってきている分

 

重たいものは目に見えて重たくなっています

 

心が作り出す毎分毎秒の気持ちの変化は

 

軽くなれば浮かび上がり

 

重くなれば沈んでいきます

 

鬱病を経験する人が増えていたり

 

些細なことで動けなくなる人が多かったりするのも

 

『繊細さ』という豊かな感受性を

 

『自責』という武器に反転させているからです

 

例えば、生まれ持って奉仕精神が強く

 

所属する場所で人のために尽くす思いが

 

与えられた使命を完遂出来ない場所であったり

 

強いこだわりが残っていたりすると

 

最後までやり遂げられなかったりして

 

苦しい思いをして、自分であることが

 

分からなくなってしまう

 

『犠牲』という言葉で語られますが

 

根にあるのは

 

『貢献出来ないことに対する自責の心』であり

 

心は『鏡』になる人を必ず作りますので

 

身近な人との関係が荒れてしまったり

 

大好きな人達が病んでいったりする環境を

 

実は自らが作ってしまっているからです

 

奉仕の心を持つ人は

 

周りの人達を分け隔て無く、

 

心の底から愛している人なのですが

 

自分を愛せなくなって

 

信頼が置けなくなってしまったとき

 

愛しているのに、大切な人達とわだかまりが出来てしまう

 

愛せなくなったがゆえに

 

鬱になって

 

世の中を信じられなくなってしまうのです

 

大切なことは

 

まずはどんな自分も受け入れること

 

ただ

 

受け入れるのは自分でやらなくていい

 

先程書いたように

 

まずは自己否定をしている自分を受け入れ

 

ダメだと嘆いている自分の性格を受け入れ

 

『そんな自分でもいい』とゆるすことです

 

やさしい人達は

 

のんびりしていたり

 

調和を取ろうとしている自分が

 

周りの人達を見渡してみると

 

テストやスポーツで勝つことに夢中になっていて

 

人と差を付けて、

 

『あなたとわたし』が違うことを意識していたり、

 

面倒なことをするのを避けるために

 

無言の心理戦を駆使している姿を見たとき

 

それをしない

 

あるいは、出来ない自分を

 

不器用で損をしている

 

カッコ悪い

 

価値がないとジャッジして

 

自己否定をしがちです

 

そして否定的な考えが出てきたとき

 

苦しくて感じたくないから

 

見て見ぬ振りをしたり

 

なかったことにしたりしがちです

 

ゆるすことの第一歩は、

 

自己否定をしていることを受け入れること

 

そして、神にゆるしをお願いするために祈ることです

 

大事なことは

 

自分でやらないことです

 

必要なことは、望む形ではなくても、必ず与えられます

 

ゆるしが完了したとき

 

奇跡は現れて

 

次のステップの答えをあなたにもたらします

 

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