存在そのものがメッセージになる

愛ある思いが、言葉を紡ぎ、人と人とをつないでいく

武器よさらば

言葉、知識、資格、教養、外国語……

 

大人になったら、

 

それらのものがあるかないかで、

 

人生が大きく変わる。

 

かつて、そう信じていました。

 

高校生の頃、

 

『すぐに言葉が出てこない』

 

出てくる言葉が、ワンポイントズレる。

 

だから、的確に伝わらない。

 

そう思っていたから、

 

もっと、言葉が瞬時に出れば、

 

みんなと

 

スムーズに

 

話せるんじゃないかな?

 

そう思ってたから、

 

大学に入学するのを機に、

 

小説、新書、心理学の固めの本などを読み、

 

片道1時間半の通学時間を使って、

 

読み漁り、

 

言葉を知ろうとしました。

 

話が上手い友達を見て、

 

どんな言葉を使っているのか、

 

観察もしました。

 

大学の授業の場を使って、

 

書く力、

 

ゼミのプレゼンテーションを使って、

 

分かりやすく伝える力を

 

磨きました。

 

その甲斐があってか、

 

高校生の頃に抱いていた

 

コンプレックスを感じなくなり、

 

人前で話すことが楽しい

 

と、感じるようになりました。

 

そんなこんなで、10年近くが経ったころ、

 

『あれっ』と

 

またしても、違和感を覚えることが。

 

言葉を尽くして、話しても、

 

なかなか伝わらない⁉︎

 

な、なんでだろう……!!

 

と、感じることが増えていきました。

 

そんな、あるとき、

 

知人に勧められた本を読んでいるとき、

 

目に留まった一説。

 

『私は、自分の語る言葉自体には焦点を合わせません。そうするなら、私は自分の言葉につまづいてしまい、何も言えなくなるからです』

     (奇跡の原理  ケネス・ワプニック著 P82)

 

そこで、初めて、

 

語彙よりも、

 

その言葉の裏にあるエネルギーを

 

感じ合い、

 

受け取り合っていることに、

 

気が付きました。

 

そして、

 

言葉に執着していて、

 

『形』に捉われていて、

 

身の回りにすでにあった

 

家族の団欒や

 

本音で語り合える仲間がいる

 

豊かさに

 

気がつきませんでした。

 

そもそも、

 

たくさんの言葉や知識を蓄えたことは、

 

僕にとっては、後天的に身につけたもので、

 

そこに至る動機は、

 

人に馬鹿にされないための武器

 

でした。

 

もっと心理学的に言えば、

 

相手から攻撃されないための

 

『防衛反応』

 

です。

 

『防衛反応』は、

 

周りの人達から、

 

何らかの形で、攻撃を仕掛けられるという

 

恐れからスタートしたものでした。

 

ただし、恐れから身につけたものでも、

 

動機を知り、

 

武器は後ろに置いて、誰かのために、使ってもらう。

 

そうすると、

 

あなたが、かつて武器として、

 

揃えてきたものが、

 

すでに繋がっている

 

身近な相手や思わぬところから、

 

武器として使っていたものが、

 

生かされていきます。

 

大切なことは、

 

素直に受け取ることです。

 

 

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