存在そのものがメッセージになる

愛ある思いが、言葉を紡ぎ、人と人とをつないでいく

嫌われる勇気

先週の土曜日に、ほぼ初対面の人と、お茶をした話は、既にしました。

 

↓↓詳しくはこちらです。

 http://kinpati1625.hatenablog.com/entry/2018/02/18/222300

 

お互いに共通していて、弾んだ話題が、

 

『嫌われたくない』

 

という思いが強いことです。

 

人間なので、性格や気質が合わずに、嫌いな人があるのは、極めて普通な事です。

 

あからさまに態度に表す人もいますが、

 

大方の人は、態度に出さないように心掛けていたり、

 

仕事上だと、相手を理解しようとする人もいるでしょう。

 

僕が、聴いた話の中で、

 

『嫌いは好き』

 

という言葉があります。

 

嫌いな人は、

 

自分が気にしていること、

 

見たくないもの、

 

認めたくない感情や思いなどを、

 

その人の存在や在り方で、

 

心の中に隠しているものを

 

出す役割があると

 

いうことです。

 

話が逸れたので、本題に戻ります。

 

この『嫌われたくない』思いは、

 

一体どこから来ているのでしょうか?

 

一番強いのは、両親に嫌われたくないじゃないかな?

 

両親って、1番身近な他人で、

 

子供の頃は、親の庇護の下にいるので、

 

外で脅威を感じる事があっても、

 

親は守ってくれる存在だと思っている事が多いです。

 

いわば、安心感を与えてくれる存在だと思っています。

 

だから、親の期待に応えようと、言われた事を素直に守ろうとしたり、

 

反発しても、心の中で罪悪感を抱いてしまう。

 

それは両親は、人格を形成する上でも、

 

大きい存在です。

 

その親のアイデンティティーに関わるもの、

 

親自身が守っている信念、

(親自身のプライドに関わるものが大きい)

 

親が愛情ゆえにしてくれること、

 

期待に対して、

 

自分の意に沿わなかったり、

 

自分が与えられているものと沿わずに、

 

葛藤をしてしまう。

 

鼻からやる気が出ずに、やらない。

 

親の期待に添える自分は認められている。

 

親の期待に添えない自分は、認められていない。

 

そんな思いがありつつも、

 

自分の聖性は全く別の所にあります。

 

聖性という難しい言葉を使いましたが、

 

好きなものでも、

 

エネルギーが注げるものでも、

 

自然体になれるものでも、

 

瞬間でも、

 

構いません。

 

両親が育んでくれた価値観の外に

 

自分のエネルギーが注げるものがある時は、

 

ぜひ、挑戦してみることをお勧めします。

 

自分の好きに素直になることも、

 

直感を100%信じて行動することも、

 

実は、

 

怖さを感じることで自分を守っていたことから、

 

解放します。

 

それは、今まで親を超えることを無意識に抑えていたことからの解放でもあります。

 

親を超えることは、親自身から引き継いでいた恐れの連鎖、制限からも解放するので、

 

親と子の両方の解放、

 

つまり癒しになります。

 

『嫌われたくない』裏には、

 

両親、そして、ご先祖様から始まっていたドラマが背後にあります。

 

そして、無意識に守り通していたもの。

 

正体が分からなかった恐れの本質。

 

自分の直感を100%信じて行動することも、

 

好きな生き方にシフトしていくのも、

 

その中で、自分を内観していって、

 

『嫌われたくない』

 

そんな恐れを感じてしまうのは、

 

両親を愛しているからこそ、

 

強く思うことです。

 

嫌われることは、

 

表面的に、感情が表出することで、

 

だから表情に出るんです。

 

本当の思いは、

 

1人1人の心の奥に隠されています。

 

僕は、行動を起こす時や

 

自分の直感を信じて一歩踏み出す時、

 

嫌われる勇気を持つことをお勧めします。

 

それは、

 

両親を愛していた思いに気がつく

 

一歩にもなるからです。

 

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