存在そのものがメッセージになる

愛ある思いが、言葉を紡ぎ、人と人とをつないでいく

自分を明け渡すとき

与えられたものを

 

受け入れようとするとき

 

ときに、葛藤を伴う。

 

思い描いていたものと違っていて、

 

達成感を味わうこともなく

 

スルッと僕らのもとに来てしまう

 

頑張ってきたことを認めてほしい思いが

 

残っているとき

 

奇跡は隠されてしまう

 

そういうときは

 

自分の思いを抱いたままでいいから

 

そっとあなた自身を明け渡してほしい

 

そうしたら

 

未知の扉が開かれて

 

光が差し込んでくる

 

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自分の役割について考えてみた

『なりたい自分』になろうとか、

 

そうなった姿をイメージングしてみようとか、

 

引き寄せの法則』とかで、ある時期に、

 

盛んに言われていたことがありました。

 

今は、『願いを叶える』ようなムーブメントは、少し鳴りを潜めているけど、

 

未だに、『輝こう』とか『光ろう』というようなメッセージがあちこちに溢れています。

 

自己啓発の本は、1990年代から沢山出てきて、

 

スピリチュアルの本は、2000年代から、書店の本棚に増えてきました。

(その前は、『オカルト』なんて言われてました)

 

平成に入って、企業の『終身雇用制度』が崩れたり、

 

組織に属さない生き方をする人が出てきて、

 

自分がどんな人間であるのか?

 

そう問う人が増えてきたんだと思います。

 

生まれてきた使命を知るために、精神世界に足を踏み入れて、

 

瞑想をしたり、魂について学んだり、

 

愛と恐れの2つを体感して、統合することで、

 

万物がひとつであることを体験したり、

 

精神性を探求することに、

 

宗教関係者ではなく、一般の人達も、出来る環境が整ってきました。

 

僕も、『奇跡のコース』に出会って、

 

心が、目に見える全てのものを、見せていたことを、見せられて、

 

『鏡』になる人達を通して、

 

自我による『恐れ』が、罪悪感を作り出して、

 

人間関係で生じる悩みごとを、

 

感じさせていたことを知り、

 

祈ることで、

 

自分から滞らせていた感情によって、

 

見たくもないような人に向けていた

 

ゆるせないマグマのような感情を

 

『取ること』を

 

意図せずにしていました。

 

それが、『ゆるし』でした。

 

ゆるすことって、僕は、諦めることだと思います。

 

なろうとしていた自分をやめて、

 

ありのままの自分でいることを許すこと。

 

素の自分でいることは、時に、へこんでいるところがあって、

 

へこみが、実は、苦手なことだったり、

 

向いていないことだったりして、

 

人に迷惑をかけたり、思わぬ対立を招くものだったりします。

 

向いていることを伸ばそうとする自己啓発に対して、

 

向いていないものが明確になることで、向いているものが明確になるのが、

 

僕にとっての『奇跡のコース』であり、スピリチュアルでした。

 

向いているものが明確になったり、

 

何人もの人から認めてもらえている事こそ、

 

自分の役割』だと、今は、思います。

 

僕は、昔、『愛されているねえ』と言われるのが、イヤでした。

 

それは、『頼もしい』とか仕事で『出来る人だね』と言われたくて、

 

頑張っていたからです。

 

『愛されている』ことは、『愛されているだけの人で、自分には生産性がない』ことを

 

仕事を通じて、『自己否定』の道具にしていました。

 

自分の役割は、その人が、否定をしているところにこそ、宿っていると思います。

 

『愛されている』人は、集団の中で、存在だけで人と人をつなぐ道具になったり、

 

周りに安らぎを与える存在になるので、

 

貴重な存在でした。

 

なりたい自分になろうとするのは、自分を知る一歩ですが、

 

本当は、人との関わり合いの中で、

 

浮かび上がってくる人間性とか、タイプとかを

 

受け取ることが出来れば、

 

与えられた『個』が、集団の中で生かされて、『個』が光り、輝いて生きていけると

 

いま、思います。

 

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おとなしい人が幸せに生きるために

『おとなしい』と聴くと、

 

皆さんは、どんな印象を受けますか?

 

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僕が、『おとなしい』と聴いて、

 

出てくるものは、

 

『慎重』

 

『草食系 』

 

『押しが弱い』

 

『怖がりやさん』

 

『友達は大勢より少数精鋭』

 

『何を考えているのか分からない』

 

…………etc

 

世の中には、『目立つ人』っていますよね。

 

話が面白かったり、

 

運動神経が良く、スポーツが出来たり、

 

アーティストのような、思う存分、才能を発揮していたり、

 

異性に好かれやすい人だったり。

 

『外』から見て、その人の『特徴』がハッキリと分かり、好きなことを楽しんでいる人ほど、目立ちます。

 

オーラもあり、その人がいるだけで、周りの注目を集めてしまう人。

 

それに対して、

 

『おとなしい』人って、『外』に自分の『特徴』が分かりにくいから、

 

大勢の中では目立たなかったり、

 

気が付いたら、『ひとり』になっていたりすることがあります。

 

『おとなしい』ゆえに、他人と馴染めないと感じてる人も多いのではないでしょうか?

 

僕は、小学生や中学生の頃は、

 

友達もいて、それなりに楽しい毎日を過ごしていましたが、

 

高校2年生の頃に、

 

クラス替えで友達がなかなか出来なかったときは、

 

さすがに、焦りました。

 

爆笑問題の太田さんも、高校生の頃、友達がいなくて、

 

『話し掛けられなくて、また明日、また明日と思っているうちに、話すタイミングがなくなっていった』

 

と話していましたが、

 

おとなしい人って、

 

いざという時の『押し』が弱いこと裏目に出て、

 

話すことに限らず、チャンスを逃してしまうことがあります。

 

太田さんの場合は、高校生の頃の反動で、大学入学後に、

 

誰彼構わず、話しかける人になったそうですが、

 

友達が出来ない経験をすると、

(あるいは、一時期だけ、いない経験をすると)

 

結構、同じ経験をしたくない反動で、

 

過度に、友達を作ろうとしたり、

 

友達になっても、『つながり』が気になったり、

 

親御さんの場合だと、子どもが仲間外れになっていないか、心配になってしまったり、

 

することがあります。

 

ここまで書いていて、『おとなしい』ことのマイナスの側面を書きましたが、

 

『おとなしい』ことのプラスの側面は何でしょうか?

 

僕が、接してきた『おとなしい』人って、

 

結構、繊細な感性を持ち合わせていて、自分の世界観を持っている人が多かったなぁと思います。

 

『おとなしい』から、表立って発言や行動することは少ないけれど、

 

打ち解けた人であったり、

 

安心感を与える環境であったりしたとき、

 

口を開くと、ユニークな感性を持っていたり、

 

芸術的な素養があったりして、

 

『表現』に向いている人が多い気がします。

 

おとなしい人は、『外』に向けて、たくさん発することが少ない分、

 

自分の見ている視野が、『独特』であったり、

 

周りに流されることなく、

 

よく物事を見ていたり、

 

他人が感じられない、繊細なところまで、感じていたりすることが多いと思います。

 

(共感能力=エンパシーが高いことは、以前のブログでも書きました⬇︎⬇︎)

 

 

kinpati1625.hatenablog.com

 

それゆえに、馴染めないと感じていて、

 

周りから『おとなしい』と思われている人も

 

多いのではないでしょうか⁇

 

僕は、『おとなしい』人ほど、自分の好きな分野で、たくさん表現してほしいです。

 

『表現』は、何もブログを書いたり、絵を描いたり、作品を作ったりするだけではありません。

 

好きなことを目一杯楽しんだり、

 

気になることにチャレンジしてみたりすることも『表現』です。

 

人に見られたら、

 

『恥ずかしい』と思ったり、『変な人』だと思われたりしないかと、

 

心配している人もいるかもしれませんが、

 

楽しんでいる姿を見ると、人は、楽しんでいると見るから、

 

嫌な思いをすることはないし、

 

その楽しいことに共感して、仲間が増えていくことがあります。

 

おとなしい人が幸せに生きるためには、自分が楽しめることを1つでもいいから見つけて、『表現』してみてください。

 

                         【結論】

おとなしい人が幸せに生きるためには、『表現』することを心の底から楽しむこと。

 

 

心のナイフをしまうとき

裁いている人がいるならば、

 

その人は、あなたが心から愛している人。

 

刃で刺しているのは、

 

自分自身であることに気が付いて、

 

まずはポケットにナイフをしまってみてください。

 

あとは、人を愛している気持ちがあることを

 

素直に受け入れれば、視界は晴れていくよ。

 

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ただ静かに待っていなさい

ただ静かに待っていなさい。

 

焦らずとも、あなたに必要な現実は、

 

必ず成され、現れる。

 

そのときは、素直に受け取りなさい。

 

受け取れば、全ては流れ、次の扉が開かれる。

 

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『心』の学び過ぎで見えなくなったときは

最近、身近な人達と話していたり、

 

SNSで上がってくる投稿を見ていたりすると、

 

心理学やスピリチュアル、ヒーリングといった

 

心の勉強をずっとしているほど、

 

専門知識に囚われて、

 

今、ある『現実』が見えなくなっていて、

 

ずっと苦しみがなくならなかったり、

 

頭で納得をしていても、心から腑に落ちていないと、

 

言動と感じるエネルギーが不一致になって、

 

違和感を覚えることがあります。

 

『現実』が見えなくなるときって、

 

実は、内面にあるコンプレックス

 

大きく作用していて、

 

容姿でも、人との関係性でも、過去の経験でも

 

満たされていないという思いが

 

大きく作用していることが多いです。

 

学んでも学んでも葛藤が激しかったり

 

苦しみがなくならなかったりする場合は、

 

自分が感じることを丁寧に感じてみることです。

 

『恐れ』は幻想だから、本当はないとか、

 

『自我』に答えはないとか、

 

学んできたことを、まずは、一旦、横に置いて見て、感じ切る。

 

そのときに出てくるのが、

 

『コンプレックス』なのです。

 

大体、コンプレックスは、思い込みによるものが多いです。

 

過去の、否定的に感じた強烈な経験が、

 

今の視点に作用していて、

 

前に進もうとしたり、環境を変えようとしている人達にとって、

 

『阻む』壁になっている。

 

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その壁は幻想だけれど、感じているのなら

 

まずは『壁はあるもの』と受け入れてみる。

 

ここで『恐れていること』に蓋をして、

 

心理学を学んでも、スピリチュアルのワークをしても、

 

『癒し』は起きません。

 

心理学でも、スピリチュアルでも、自己啓発でも、

 

学びは、自分が気が付かない思いに、光を当てるものであるので、

 

恐れていることに、じかに『光』が当たることがあります。

 

その過程で、見たくもない『コンプレックス』に直面することがあります。

 

僕は、『コンプレックス』を抱えていても、いいと思っています。

 

先ほども書きましたが、『コンプレックス』は思い込みによるものが多くて、

 

誰かに話を聴いてもらうと、

 

大したことは無く、大袈裟に考えていたことが浮き彫りになります。

 

『浄化』って、そうやって、ひとつひとつ思い込みが取れて、

 

以前なら、落ち込んでいたようなことが、

 

今、同じことが起きても、反応がなくなっていることです。

 

思い込みは、ひとつひとつ気が付いていくものなので、

 

現実が変化していくのは、ゆっくりなんです。

 

そして、ゆっくりでもいいんです。

 

環境を変えるような急激な変化は、一時的には効果はありますが、

 

思い込みが取り消されることがない場合は、

 

形を変えて同じことが起きます。

 

行動が現実を変えるのではなく、思い込みに気付く心が現実を変えていきます。

 

だから、自分の心から離れないことです。

 

感じることに素直になって、怖さも安心して感じ切っていけばいいんです。

 

ただ、1人で感じないで、信頼の出来る仲間や自分の思いを話しやすい人達に、

 

今の思いを話してみてくださいね。

 

 

 

 

 

『怒り』が『愛』に変わっていくとき

今年は、スポーツ界の

 

パワハラ』と『体罰』が、

 

大きく世を賑わせています。

 

最近でも、日本体操協会体罰を受けたとされる体操選手の

 

体罰』の認識の見解に

 

相違が出ていることが、

 

報道されていて、

 

協会のトップの人の当事者選手への発言に、

 

選手本人から、パワハラを感じたと報道されていました。

 

協会のトップの人が

 

パワハラを感じた発言も指導のうち』と

 

発言したときに強く感じたのは、

 

こういうことは、『立場の違い』によって、

 

言葉の受け取り方が変わっていくものであり、

 

時に、大きな誤解を招いてしまうことがあることです。

 

パワハラと受け取った『選手』の側からしたら、

 

トップの人の発言から、

 

パワハラを受けたと感じることで、

 

感情が乱れてしまうから、

 

被害者意識』が先立って、客観的に、自分自身を見ることが出来ずに、

 

激しく相手を責めてしまうことで、

 

今、自分に、本当に起きていることが何なのか、見えなくなってしまいます。

 

スポーツ界だけではなくて、

 

会社組織の中でも、

 

パワハラ』はよく耳にする話題です。

 

パワハラをした当事者からすると、

 

『そんなつもりじゃなかった』と言うことも

 

たくさんありますし、

 

時に感情的になるほど、

 

厳しい言葉で接する姿勢が、

 

上司にとっては、

 

愛情を持った指導だと思っていても、

 

部下にとっては、『パワハラ』と受け取られて

 

心の病による休職や早期退職につながり、

 

職場が、『人手不足』になった結果、ますます悪循環に陥ることも少なくありません。

 

このような経験は、僕が会社員時代に経験したこととも大きく重なります。

 

ここから、僕の体験談を交えながら、会社員を退職後に

 

特に、グルコンを通して、沢山の人達とシェアとフィードバックを重ねながら分かった

 

パワハラ』だと思っていた上司の真意と

 

僕の思い込みが消されていく過程をお話しようと思います。

 

当時、食品メーカーの営業て、店舗の売上管理、販売員さんの雇用、管理が主な仕事でした。

 

入社2年目の秋に、異動した部署の上司は、

 

部下を、自分のやり方で、

 

徹底的に管理をする方で、

 

その上司の意に沿わない行動をした場合は、

 

激しく叱責する方でした。

 

当時は、店舗の人手が足らずに、若い営業部員が応援に入ることも多く、

 

僕もその1人でした。

 

上司は、仕事が覚束ない僕を一人前にしようと

 

現場でのディスプレイを一緒に手伝わせたりしましたが、

 

いかんせん、勤続20年目の上司と現場に出て1年の私とでは、力量も違うし、掛かる時間も違います。

 

『仕事が遅い。言われた通りに出来てない。何回も同じことを言わせるな』

 

と、時に従業員の前で激しく叱責されて、

 

聴きたいことも聴けない雰囲気になっていきました。

 

やがて、社内の人手不足もピークになり、

 

キャパシティを超える仕事量と販売応援で、休みが取れなくなり、

 

ミスも多発するようになりました。

 

そんな時、お世話になっていた企業の信頼を失うようなミスと

 

担当店舗の販売員さんの突然の退職の処理が上手くいかず、

 

コップを投げられる寸前まで激しく叱責されたとき、

 

そのとき、自分の心が堰を切ったように

 

『もう無理だ』と思いました。

 

今から3年前の桜の蕾が膨らみ始めた3月の暖かな昼でした。

 

それまでは、企業に貢献しようと、微力ながらも感じていて、休みが取れないことすら、構わない時もありました。

 

しかし、その上司から、

 

『お前のことは信頼してないからな』と言われたとき、

 

心に繋ぎ止めていた糸が切れたようになり、

 

わたしから上司への信頼も無くなりました。

 

本音かも知れませんし、一時の感情で言ってしまったのかも知れません。

 

真相もお互いの思いも分からないまま、

 

その年の6月に退職しました。

 

翌月から、なっちゃん(佐川奈津子さん)の

 

『奇跡のコース』をベースにした『サイコセラピスト講座』に参加して、

 

なっちゃんが、体験談を交えながら、

 

人間関係の問題は、全て自分の心が作り出してしまった『恐れ』が『投影』という形で、

 

身近な人や愛する人が、自分に『他責』をしていくように仕向けてしまう。

 

まずは、心の中でわだかまっている

 

厳しく他人を裁いて、苦しんでいる自分自身に気が付いて、

 

『ゆるすこと』から『癒し』がはじまると言われたのを、

 

今でも覚えています。

 

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(ゆるさない心を作るのは、このような感じかも)

 

僕は、上司の関係性を見つめようと何度も試みましたが、

 

思い出すたびに、『怒り』が強烈に湧いてきて、そのときは、全く上司を見ることが出来ませんでした。

 

1年ほど経った秋、

 

なっちゃん・大ちゃん(吉武大輔さん)のフランスリトリートに導かれるように参加しました。

 

フランスでもグループコンサルティングがあり、

 

そのときに、上司のことを再び思い出し、あのとき言えなかった思い、退職後に上司の指導に対して心境が変化したことをメールで伝えたいと思いましたが、

 

メールアドレスを整理してしまっていて、連絡が出来ませんでした。

 

帰国後に、最後の挨拶の時の、嫌そうな上司の顔と僕に向けた社交辞令的な言葉の話を

 

グルコンの仲間にしたときに、

 

普段は、聴き役に徹する彼女がいきなり、

 

『それはしんちゃんが離れていくことに、本当は、申し訳ない気持ちと悲しさがあったけど、周りの人がいるから、そういう表情を取らざるを得なかったんだよ』

 

と言いました。

 

その言葉は、クリアに腑に落ちました。

 

1年という時間が、『過去』をゆるし、上司ではなく、自分の在り方を見直す余裕を与えてくれたのかもしれません。

 

僕と上司が働いていたあの頃、

 

人手不足で余裕がなく、かつ、

 

お互いに自分のことしか考えられなかった。

 

上司は、完璧を求め過ぎて、勤続20年目と2年目の社員が『違う目線』で見ていることに気が付かず、

 

僕は、仕事が、部署、現場、多部署がひとつになってしていることが分からず、コミュニケーションが上手く取れていなかった。

 

要するに、周りが見えていませんでした。

 

叱責を恐れて、問題点だと思うことも、指摘せずに問題が大きくなったこともあります。

 

育った『環境』『時代』によって、価値観は大きく異なります。

 

『立場』が違うと、見えている景色も違います。

 

だからこそ、自分の中でわだかまる感情を知り

 

『投影』から相手に対して攻撃が起きていることを受け止めることが大事なことです。

 

かつての僕は、ややもすれば、『被害者』になることは出来ました。

 

しかし、僕は『被害者』になることを選びませんでした。

 

ゆるそうと思っても、ゆるせない時期もありました。

 

その時期の心がきつかったからこそ、

 

同じ思いをしないためにも、ここで終わりにしようと思っていました。

 

心に、気になる相手を十字架に架けて、ずっと裁いているのは、自分自身です。

 

自分の思いに居着かせて、起きていることの真意が見えなくなります。

 

上司は、僕を育てようと必死であって、

 

あのような言動を取ってしまったことは、

 

今は分かります。

 

言動に関しては、相手に非があることも分かりますが、

 

『理不尽な怒りは、本音が言えないときに起こる、ねじれた愛』であり、

 

誤解を生み、分かり合えないドラマを共有することも出来ますが、

 

真意は、『愛』であり、

 

相手の中から自分自身の隠されている『愛』を

 

受け取り直す扉だと思います。

 

今年の冬に、その上司に感謝の念が湧くことがあり、

 

現実が変化することがありました。

 

スポーツ界で起きている

 

パワハラ』が世間を賑わせている今、

 

私たちの心の中で繰り返し感じてしまい

 

同じような現実が起きてしまうパターンを

 

静かに見ていくときに来ているのかもしれません。