自ずと気付ける幸せ
先日、清掃を一緒にした代表の方に思い切って聞いてみたことがあった。
『どうして、今まで、あれこれ言わずに僕のやり方で、清掃を任せてくれたんですか?』
すると、代表の方は
『それは、僕は立場的に、晋太朗さんをコントロールすることは出来るんですけど、それをすると、僕の価値観の中に、晋太朗さんを引き入れてしまうことになることになるから、余程のことがない限り、何も言わなかったんです。』
さらに、
『コントロールすると、晋太朗さんの意識が『外』に向いてしまう。そうすると、晋太朗さんが、自分から気付く機会を奪ってしまうから、あえて、何も言わなかったんです。』
と答えてくれました。
………
………
………
………
………
感動しました。
と同時に
衝撃的でした。
両親、教師、上司、先輩、コーチ、メンターと言った『教える側』の立場の人達が
『学ぶ側』の人の『クセ』や『直すべき点』を教えることはものすごく簡単なことで
熱意があったり、何とかしてあげたいと思っている人ほど、熱心に言葉を尽くして教えるだろう。
そして『学ぶ側』の中でも、
特に素直な人だと、『言われたこと』を一生懸命吸収しようとするだろう。
でも、
素直で真面目な人であればあるほど
言われたことに『囚われてしまう』
囚われると『教師』の価値観の中で『世界』を見てしまい、
知らず知らずのうちに『教師』に『コントロール』されることになり、『学ぶ側』の人達が自分から気付くこと機会が奪われていく。
勉強やスポーツと言った『専門知識』や『技術』を要するものであれば、教え込む時も必要だと思う。
だけど
個人の『生き方』に関わること。
とりわけ、今なら自己啓発や心理学、スピリチュアルの分野においては、
『教える→教わる』という関係性だけでは、『自分自身の輪郭』が見えないことが多い。
むしろ、『教師』が作っている『枠組』の中から一旦出ないと、扱われている『知識』や『コンテンツ』の中身を腑に落とすことは出来ないこともある。
これは、僕が26歳で会社員を辞めて、4年間、ほぼ仕事をしないで、『学び』に費やして学んだことだった。
本当の『学び』は『理論』の中にではなく
実生活の中での『体験』の中に隠されていた。
人と交わったり、清掃の仕事をする中でした失敗だったり・・・
『クセ』や『繰り返している』ことが浮き彫りになり、自分で気付けるようになっていくと
少しずつだけど、清掃の仕事で今まで見えなかったことが見えてくるようになった。
そうやって慣れていくうちに、気持ちが楽になり、人前でよく笑うようになった。
自ずと気付きが内面から溢れたときは、『ハッ』とするし、
時に、嬉しさに浸ることもある。
その時に感じるのは、ずっと探していた宝物を見つけた思いだ。
これからの人生も『気付き』と共にずっとあると思うけど、
まずは、自分から『気付く機会』と『場』を惜しみなく与えてくれた清掃の代表の方に感謝の思いを込めて!
ありがとうございます。
(明治神宮で偶然撮れた『宝珠』のような光!)