存在そのものがメッセージになる

愛ある思いが、言葉を紡ぎ、人と人とをつないでいく

与えられたものを、ただ受け取ることとは?

『欲しいものが欲しいわ』

 

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今から30年程前の、

 

西武百貨店のポスターに書かれた

 

糸井重里のコピー。

 

バブル当時の日本人の若者の気持ちを

 

表したシンプルな言葉です。

 

『欲しいものが欲しい』

 

確かに、文句の付けようはないです。

 

だって、欲しくないものは、

 

絶対にいらないですから笑

 

話は変わりますが、大学生の頃、

 

授業で、開発途上国の支援の講義のとき、

 

女性の先生が、

 

『日本はものに恵まれているから、支援はいつでも出来る。でも、何でも、ものをあげればいいわけではない。支援する国が、本当に必要なものをあげることが大事』

 

と言い、確かにそれはそうだと思っていたら、

 

次の言葉に、

 

ムムムと反応しました。

 

『だって、女の子なら分かると思うけど、好きだっていう男の子から、自分が欲しくもないものもらったって、困るじゃない』

 

『男の子も、女の子にプレゼントするときは、気に入ったものをあげるんじゃなくて、女の子が欲しいものを聴いてから、あげないとねー』

 

『………』

 

『欲しいものが欲しいわ』

 

当時、この言葉を聴いたとき、

 

周りの女の子は同意の表情をしていて、

 

男子は微妙な表情をしていました。

 

僕は、この言葉を聴いて、

 

『厚かましいなぁ。そんな事言うなら、欲しいものは自分で買えばいいんじゃないですかぁ』

 

と心の中で憤りました。

 

今ほど、

 

『まぁ、そう思うかもなぁ』

 

と、悠長に構えている心の余裕もなかったですし。

 

まあ、この言葉に反応していたってことは、

 

別の所で、与えられるものを受け取らないことを

 

していたからであって、

 

今となっては、笑い話ですが、

 

与えられるものをただ受け取ることは、

 

最初は、すごく抵抗しますよね。

 

今から10年前、浪人していた秋。

 

ストレスで、勉強に身が入らなくなってしまい、

 

これ以上浪人をしたくないので、

 

志望校だけでなく、

 

偏差値に囚われることなく、

 

様々な大学に足を運んでみました。

 

その時に立ち寄ったとある大学の構内に入ったとき、

 

『あ、ここだ』

 

と、思いました。

 

何でだかは、当時説明も付きませんでしたが、

 

『ここが僕のいるところだ』

 

という感覚だけはありました。

 

最終的に、その大学に入学することになり、

 

おかげさまで、人間関係に恵まれて、

 

静かだけど、充実した4年間を送れました。

 

ただ、19の秋に、

 

この大学だと分かってしまい、

どんなに頑張っていたことがあっても、

 

自分の意を超えて分かってしまったとき、

 

示された道を進むことになる。

 

この事実に、随分と葛藤をしました。

 

今まで、僕が良いと信じていたこと。

 

人との間で揺れる思い。

 

そこに、自分の道がないことが、

 

10年前の秋に分かってしまった。

 

でも、肉体があり、自我もあり、

 

恐れも、欲も、憧れも、嫉妬もあり、

 

時折、大きく揺れる自意識もあるけれど、

 

そこには、何の意味もなく、

 

成されることは、成される。

 

成されないものは、頑張っても、

 

思い通りには成されない。

 

その二元性に引き裂かれて、葛藤しました。

 

周りがしている常識だと僕も感じていることを、

 

僕はしないし、やりたくない。

 

果たして、それでいいのか?

 

自己否定もいっぱいしてきたし、

 

周りに合わせようと必死になることもありました。

 

学生の頃、手に取って感銘を受けた本の中では、

 

与えられるものは与えられる。

 

扉は、向こうから開くもの。

 

他力の力が働くとき、現実が動く。

 

と、ほぼ共通して書かれていて、

 

今まで、努力をしてきたことが、

 

『足りないものを埋める』ことであり、

 

無意識にしていたことを知り、

 

自力で埋めようとする自我と

 

他力で、やってきたものにエネルギーを注ぐことが、

 

随分と葛藤しました。

 

大学を卒業して、就職をして、一旦仕事を辞めてから、

 

『奇跡のコース』に出会い、仲間とシェアしていくうちに、

 

祈りの本質が

 

『与えられているものを、受け取るためにするもので、具体的なものを祈ることは、既に自分を否定して、破壊しているに等しい』

 

と書かれていたとき、

 

大学生の頃の僕が、授業で反応したことが、

 

腑に落ちました。

 

先の欲しいものが欲しいことは、

 

僕にも沢山ありました。

 

『幸せになりたい』

 

『人と繋がりたい』

 

それでも、その思いの奥にあるのは、

 

『今、幸せを感じられていない』

 

『今よりも、もっと幸せになりたい』

 

『今、人と繋がりを感じられず、孤独である』

 

不足感がベースになった上での願いでした。

 

ベースにあるものが、叶う。

 

すると、幸せになったとしても、

 

不足感をまた感じて、求めることをしてしまうのです。

 

僕も、そのことに気が付かずに、

 

何年も、欲しいものを、祈りに変えていました。

 

でも、あるときに、

 

今、この瞬間、幸せであるんだ。

 

今、人と繋がり、程よい関係性を築いている。

 

そのことに、気が付きました。

 

すでに、与えられていたんです。

 

具体的に、〇〇になったら幸せだから、

 

祈ることではなく、

 

今、与えられているものを、ただ受け取らせてほしいから、祈る。

 

そして、受け取った先にあるものを大事にする。

 

欲しいものはあっても、

 

欲しいものを祈ったあと、

 

実は、違うギフトだったけれど、

 

今のあなたの世界を広げてくれる道具に

 

なりうるものになると思います。

 

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