不器用を貫いていこう!!
『不器用ですから』
昭和の映画俳優・高倉健が、CMで言ったセリフが、当時の日本人の心を打ちました。
不器用であること。
華やかな匂いを発して、沢山の人たちが周りに集まっている人達。
華やかな雰囲気、人を引き付ける純なエネルギー。
かくして、私は………
と問われると、出てくる言葉はない。
もう1つ「個性的」という言葉があります。
個性的という言葉は、どこか、人や社会の価値観の中にあるイメージがあります。
集団のルールの範囲内のぎりぎりの所や、どことなく雰囲気があり、周りの人たちが、存在を認めている人達が「個性的」と言われてる気がします。
もし、学校に行かない子、制服着用義務がある学校で、私服を来て、行く子がいたら、「個性的」というよりは、「変わった子」と言われそうです。
「個性的」は、周りの人達からの承認によって成り立っている。
かくして、不器用は、他者からの承認がなくても、
むしろ、人から気付かれてない、そのこだわりが、
「今」ではなくても、ある人との出会いによって、
「華」となって開くことがあります。
不器用ゆえに、
1つの事に対するこだわりが強いことは、
その人の知識や技術が、別の誰かの心に響き、拡がっていることを、
様々な専門分野を持つ人と出会い、
1人1人の世界観に触れることで、
感じました。
不器用なことって、自分を生きることと繋がっているものです
自分を生きようと培ってきたものは、
自分の肥やしになるだけでなく、
培ってきたもの、生き方が、別の誰かの心を打ち、
生き方そのものすら変えてしまう。
自分を生きることとは、
自分の世界観を広めるために、コンサルティングやセミナーをする事もある。
あるいは、優しさを大事にしていきたい人であれば、日常生活の中で関わる人たちと、丁寧に過ごすことかもしれない。
それぞれが、性格、出身、育ってきた過程、大切にしてきたものが違う。
だから、1人1人が持っている言葉、表現、やり方で、
自分を生きながら、伝えていけばいい。
不器用だと心深く感じて、涙するとき、
その涙は、いずれ、別の誰かの心を打ち、
安心感をもたらし、笑みが顔に戻ってくるとき、
喜びが溢れて、光が自分の心の中にあったことを知るでしょう。