存在そのものがメッセージになる

愛ある思いが、言葉を紡ぎ、人と人とをつないでいく

身体で感じる自分自神の姿

こんばんは。

 

 

今日は、散歩のルートを変えて、

 

 

 

目の前の橋を渡って、

 

 

 

秋風を感じながら、

 

 

 

橋を渡り、

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空の色、

 

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雲の形、

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太陽、

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どれも、見る場所によって、変わっていく。

 

 

 

10月に入り、変化の兆しも出てきていて、

 

 

 

当たり前のように感じていた環境、

 

 

 

過去、積み上げてきた経験、

 

 

 

安心を得ていると思えていた場所に

 

 

 

違和感を感じ始めてきています。

 

 

 

自分に変化の兆しが見え始める時は、

 

 

 

関わる人達が大変化の過程であったり、

 

 

 

人間関係が変化したり、

 

 

 

目指す方向が変わっていったり、

 

 

 


外に映る景色が鏡になって、

 

 

 


自分自身が変化していることを

 

 

 


映し出されている。

 

 

 


関わる人を見ながらの自分自身の変化は、分かりやすい。

 

 

 


でも、自分で自分自身の変化を見ていきたい。

 

 

 

そんな思いも湧いてきていました。

 

 

 

 

思考で、ずっと捉えていた僕にとって、

 

 

 

片思いの女の子のように、密かに憧れていたものが、

 

 

 

身体。

 

 

 

身体は、未知であった分だけ、

 

 

 

探求したいけれど、

 

 

 

運動オンチと、

 

 

 

身体の硬さが、

 

 

 

コンプレックスになり、

 

 

 

始めるキッカケが掴めなかったんです。

 

 

 

そんな時、背中を押してした人たちがいて、

 

 

 

辿り着いた場所が

 

 

 

コンディションルーム TUNE。

 

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その後も縁があって、

 

 

 

滝ツアーに行ったり、

(富士山の近くの滝で、大雨が目的地に着くと、止み、離れると、また大粒の雨が降り始める、不思議なひと時でした)

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ひふみの旅に行ったりしました。

(出雲・立岩神社での2コマ) 

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そして、今年6月に思い切り疲れたときに、

 

 

 

言語による理解から身体に落とし込みたい。

 

 

 

そう思ったときに、

 

 

 

Facebookに出た告知。

 

 

 

Heartful Touch〜自分自神と繋がる〜

 

 

 

ハートに触る。

 

 

 

え、なになに、と興味をそそる内容です

 

 

 


触るって、親しい間柄だとしますが、

 

 

 


慣れていなかったり、抵抗があったり、

 

 

 

しますよね。

 

 

身体を触られるとき、僕は、自分が緊張しているのが分かります。

 

 

 

触る、触られるということを通して、

 

 

 

共に内面から湧き上がる気付き。

 

 


言葉で感じることと、

 

 

 

身体で感じることは、結構違う。

 

 

 

身体は正直で、

 

 

 

足を相手に揺らしてもらう動作のときに、

 

 


自力で足を戻していた。

 

 

 

指摘されるまで気が付きませんでした。

 

 

 

無意識なんです。

 

 

 


自然の持つ間合いで返ってこない。

 

 

 


この気付きが、表していたもの。

 

 

 

それは、言葉で他力って言っていても、本当は他力でやろうとしている事すらも、自力でやろうとしている。

 

 


委ねて、来たものを受け取ろうとしていても、

 

 


受け取ろうと自力で動いている。

 

 

 

自力が悪いわけではないし、

 

 

 

来たものを行動に移すのは、

 

 

 

自力の力ですが、

 

 

 

他力がはたらく前に、

 

 

 

自力で動こうとしている。

 

 

 

フライングしているんです。

 

 

 

身体は、正直に今の自分の状態を映し出していた。

 

 

 

昨日のワークを通して、

 

 

 

言葉と在り方のズレを、

 

 

 

身体を通して明らかにした。

 

 

 

身体は、私たちが思い出すために、

 

 

 

必要なことを浮き上がらせてくれる。

 

 

 

玉ねぎの皮を剥くように、

 

 

 

奥の奥にある思い、

 

 

 

愛を

 

 

 

深く、

 

 

 

受け取るために、

 

 

 

あえて魂が着ぐるみの中に入って、

 

 

 

肉体という形で、

 

 

 

この世に現れたものなのかなと

 

 

 

思います。

 

 


肉体を持っているからこその、

 

 

 

ひとつである私たちが、

 

 


個という違う形を現した肉体を持って、

 

 


再び、思い出すために、

 

 

 

人と繋がる。

 

 


人と繋がることを通して、

 

 

 

自分自神と繋がる。

 

 

 

自神と繋がり、人と繋がり合うことで、

 

 

 

この地球でもう1度ひとつであることを

 

 

 

体験する。

 

 

 

ひとつであることを、

 

 

 

肉体のままだと、分からない、分かりにくい形だからこそ、

 

 

 

繋がっていることを知ったときの

 

 

 

喜びは計り知れないものです。

 

 

 

ひとつであることを、

 

 

 

今後も感じあえる瞬間を、

 

 

 

 

もっと感じあっていきたいです。