存在そのものがメッセージになる

愛ある思いが、言葉を紡ぎ、人と人とをつないでいく

スピリチュアリティについて思うこと

こんにちは。今日からブログはじめました。

 

基本的に、自分の好きな事と感じた事を書きますが、もし何か皆さんのお役に立つことになれば、嬉しい限りです。

 

第1回は、高校生の頃から関心を持っていた「スピリチュアリティ」について書きます。まず、関心を持った転機について書きます。

 

私の転機は、15歳の高校受験でした。

 

当時、志望高校が2つあり、1つは、自分の学力にあった公立高校、もう1つは自分の学力よりも高い私立高校でした。当時、どちらも、推薦で入れたのですが、難関と言われた大学の合格数を見た時に、一目瞭然だったので、迷わず私立高校を選びました。

 

ところが、入学してみると、授業に全くついていけず、試験の点数も中学時代に比べて下がりました。当時の私は、環境の変化と授業についていけない強い不安で、やる気が全く起きず、机に向かっているのに、全く内容が頭に入りませんでした。

 

当時、クラスではいじられ役で、冗談とは言っても、きつい事をたくさん言われて、家に帰ると憔悴していました。(こんな状態で、受験勉強に身が入るはずはないですよね。)

 

そんな時、ビジネスを始めようとしていた母から勧められたのが、本田健さんや佐藤富雄さん、浅見帆帆子さんといったお金やビジネスとスピリチュアリティを組みあわせた話をする人たちの本でした。

 

共通していたのは、「感謝」の気持ちを、お世話になった人に祈る事でした。この考え方は、当時はよく分からないものでしたが、藁にもすがる思いで、やってみました。すると、心が少しだけ軽くなったような気がしました。

 

 

僕自身、当時は、はっきりとした手答え(志望大学に合格するとか試験の成績が上がるとか)が欲しくてやっていたのですが、僕が求めている事には、全然効果がありませんでした。

 

 

それでも、気持ちが軽くなるので、心の中でお世話になった人や一見、嫌な出来事であってもかかわった人に「感謝」の思いを持って、祈っていました。

 

 

今だから、分かるのですが、たくさんの素晴らしいものを「感謝」の力は持ってきてくれました。

 

高校を卒業して浪人をしていた秋に、何気なく見学しにいった玉川大学で、身体の内側が熱くなるような経験をして、理由は分からないけれど、玉川大学に入学したいと思いました。その直前に、伸び悩んでいた成績が上がり、玉川大学を見つけた後は、全く伸びませんでした。

 

 

実際、玉川大学に入学して、高校・浪人の頃に出来なかった「腰を据えてじっくり勉強する」事が出来て、受験勉強で培った知識や好きで読み始めた文化や歴史の本で得たものが大学のレポートや論文作成で大いに役立ち、成績がぐんぐん伸びました。

 

 

それも、不思議なことに、受けたい抽選の授業は、ほぼ受かり、カリキュラムも入学と同時に変わったり、受けたい授業がほぼかぶらず、時間割の作成も空き時間がほとんど空く事なく、月曜日から金曜日までのどこか1日は休みが出来て、私が何もしなくても、知らず知らずのうちに環境が整っていきました。

 

おかげで、大学2年、3年に学科で優秀学生賞、大学4年で学部長賞を頂く事が出来ました。

 

不思議な事に、頑張ったり、努力したりして「獲った」ものでなく、自然の流れで「貰った」ものでした。

 

それまで、スピリチュアリティは、神秘的なもので「あっといわせるもの」や自分の願望を実現させるものだと思っていました。書店の精神世界のコーナーを覗いてみると、願望実現や富を得るためのツールとしての「スピリチュアリティ」が前面に出ているものが多いですよね。

 

でも、大学4年間の経験から、スピリチュアルティとは、本当はまだ自分がまだ気づいていない大事な事や知らず知らずのうちに思い込んでいた信念や考え、主義・主張を取り下げるために「葛藤」という形を通して教えてくれるものだと学びました。

 

僕にとって、「スピリチュアリティ」は、自分の自意識から発するものではなく、身近にある環境をよく見つめて、日々気付かせてくれる出来事や人に「感謝」する事で心に平安をもたらす事が大事なんだと気づかせてくれました。